杜子春(芥川龍之介)のあらすじ

Toshishun

杜子春は1920年に雑誌連載されていた芥川龍之介の小説です。 中国の伝記「杜子春」をアレンジしたもので、芥川が「2/3は創作」と言った通り原作とは内容に違いがあります。

ただこちらの杜子春の方がハッピーエンド的な終わり方をしていて後味は良いです。 連載されていたのが児童文学雑誌だったこともあって、子ども向けに教訓になるよう話を柔らかくしたのかもしれません。

杜子春と老人

唐の洛陽の門の下で杜子春という若者がぼんやり空を眺めていました。 杜子春は金持ちの息子でしたが、財産を使い果たしてその日の暮らしにも事欠くようになっていたのです。

こんな貧乏暮らしをするぐらいなら死んだ方がマシかもしれないと考えていると、老人がやってきて目の前で止まりました。 「お前は何を考えているのだ」と問われたので「今夜寝る所もなく困っている」と目を伏せて正直に答えます。

すると老人は「今この夕日の中に立ってお前の影が地に映ったら、その頭の場所に黄金が一杯埋まっているから夜中に掘ると良い」と言います。 驚いた杜子春は顔を上げますが、不思議なことに周りには老人の影も形もありませんでした。

大金持ちになる杜子春

言われた通りに地面を掘ると話の通りに黄金が出て来て、杜子春は洛陽一の大金持ちになりました。 立派な家を買って贅沢をして暮らし、今まで碌な付き合いもなかった沢山の友人が杜子春の家に遊びにきました。

しかし黄金に限りはあるので三年もすると杜子春は元の貧乏になり、彼に一杯の水を恵んでくれる人もいなくなりました。 行く当てのなくなった杜子春は再び洛陽の門の下でぼんやり空を眺めています。

すると再び老人がやってきて「お前は何を考えているのだ」と問うではありませんか。 恐る恐る「今夜寝る所もなく困っている」と答えると、老人は「夕日に立って出来た影の胸の辺りを掘ると良い」と言って人混みの中へと消えていきました。

杜子春は翌日から再び洛陽一の金持ちになりましたが、変わらず贅沢な暮らしをしました。 なので三年も経つと黄金はさっぱり無くなってしまいました。

仙人に弟子入りする杜子春

そうして杜子春がまた洛陽の門の下でぼんやり空を眺めていると、三度老人が杜子春の前へとやってきて同じように問い、杜子春は同じように答えます。

老人はまた黄金の埋まっている場所を話そうとしますが、杜子春は「お金はもう要らないのです」と話を遮り、金持ちに媚び諂って貧乏人には一瞥もしない人間に愛想が尽きたと言います。

杜子春は老人が仙人であることを見抜き、仙人となるための弟子入りを志願します。 老人は峨眉山に住む仙人であることを明かし、仙人になれるかはお前次第だと言いつつも弟子入りを許可します。

不思議な術で峨眉山へと移動すると、老人はこれから仙人の女王である西王母に会ってくるから一枚岩の上で待っているように言います。 ただし自分がいない間に魔の者がお前を誑かそうとするだろうが、決して声を上げてはならない、もし一言でも口を利いたら仙人にはなれないと念を押して出かけていきました。

魔に襲われる杜子春

老人がいなくなって半時ほど経つと「そこにいるのは何者だ」と恐ろしい声がしましたが、言いつけ通りに黙っていました。 それから杜子春は獣に襲われたり、天変地異に見舞われたり、神将の矛に貫かれたりしましたが声を上げませんでした。

これらは幻覚で時が経つと夢のように消え失せましたが、しかし杜子春は一枚岩の上で息絶えました。 その魂は地獄の底へと降りていき、やがて閻魔大王の前へ連れられなぜ峨眉山の上にいたのかを尋ねられます。

杜子春はその問いに答えようとしましたが、老人の言葉が頭をよぎると思い直して黙っていました。 そんな杜子春に閻魔大王は業を煮やしてあらゆる地獄の責め苦を与えますが、それでも杜子春は何も話しません。

らちが明かないので閻魔大王は畜生道に落ちて痩せ馬となった杜子春の両親を連れてきて、話さなければ父母を痛い目にあわせるぞと言います。 しかし杜子春は黙ったままだったので、両親は鉄の鞭で散々に打ちのめされます。

杜子春は固く目を瞑っていましたが、母親の「お前が幸せになれるなら私たちはどうなっても良いから黙っておいで」という声に思わず目を開いてしまいます。 力なく倒れている馬は杜子春のことを思いやり、怨む気色さえも見せていません。

大金持ちには媚び諂い貧乏人には一瞥もしない世間の人に比べてなんとありがたいことでしょう。 杜子春は老人の戒めも忘れて転ぶように走り寄り、涙を落しながら「お母さん」と叫びました。

正直者を目指す杜子春

自分の声に気付いてみると、杜子春は夕日を浴びて洛陽の西の門の下にぼんやり佇んでおり、全てが峨眉山へ行く前と同じでした。

老人は「俺の弟子になってもとても仙人にはなれはすまい」と微笑みながら言いましたが、杜子春は「仙人にはなれないが、なれなかったことがかえって嬉しい気がする」と言います。

杜子春は「これからは仙人でも大金持ちでもなく、人間らしい正直な暮らしをするつもりだ」と言うと、老人は「今日限り二度とお前に会わない」と言って歩き出しました。 しかしふと足を止めて振り返ると、「泰山の麓にある一軒家をやるからそこに住むが良い」と、愉快そうに言いました。

感想

杜子春は貧乏人と大金持ちの間を行ったり来たりしていましたが、どちらも経験したが故に人の二面性をマジマジと知ることになります。 お金がなくなっても一緒にいてくれる人が本当の友達とよく言いますが、残念ながら杜子春にはそのような友人はできなかったようですね。

杜子春はそんな人間たちに嫌気がさして仙人を目指すも失敗してしまいます。 しかしその過程で心境が変化して前向きに生きられるようになり、最後は幸せになる予感を感じる終わり方でした。 紆余曲折はありましたが気持ちよく読める物語ですね。

ちなみに原作の杜子春には生々しい描写が多く、最後もあまり救いはありません。 原作版と芥川版の内容は大分違うので、原作を読む際には先入観は捨てた方が良いと思います。

とこで老人は杜子春が見込みありそうだから黄金を与えたとか言ってましたが、二度とも使いきったのは果たして思惑通りのことだったのでしょうか? 三度目に会った際に老人は杜子春の物分かりの良さに感心していましたが、大金持ちになって破産したのを二度も繰り返した男に言う台詞には見えず皮肉で言ってるのかと思いましたね。

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