地獄変(芥川龍之介)-あらすじと感想

Jigokuhen

地獄変は1918年に発表された芥川龍之介の連載小説であり、後にまとめて発刊されました。 地獄で苦しめられる亡者の様子である「地獄変」を描くよう命じられた画師・良秀の、芸術家としての才能と親子の情愛の葛藤がテーマの作品です。

「家庭か仕事か」とはよく言われる話ですが、ある意味でその究極の選択を描いた作品と言えるかもしれません。 もっとも良秀自身がその選択を迫られ決断した訳ではありませんが、良秀の行動からは二つの狭間で揺れて葛藤している様が見てとれます。

あらすじ

その昔、度量の大きな殿様がいました。 その殿様には様々な逸話がありますが、その中でも凄まじいのは地獄変の屏風の話です。 普段は豪気な殿様もあの時ばかりは流石に驚きになったようでした。

獄変の屏風を描いたのはその腕は並ぶものがいない高名な画師・良秀です。 しかしその人柄は卑しく傲慢な性格で外見も醜くいので、口の悪い人からは猿のようだと言われていました。

しかし御邸で働く良秀の娘は優しい心を持ち器量も良いため、殿様にも大層気に入られていました。 そして良秀もまた娘を大事に思っており、娘が殿様に召し抱えられた時は不満気で苦い顔をしていました。

以前良秀は見事な絵を献上したことがあり、気を良くした殿様に良秀は「娘を返して欲しい」と言いました。 殿様に対してそのような事を言うのは大変な無礼であり、機嫌を悪くした殿様はそれを断ります。 元々良好だったとは言い難い二人の仲はこれを機に更に険悪なものへとなっていきました。

ある日殿様は良秀に地獄変の屏風を描くように命じました。 地獄変とは地獄で苦しめられる亡者の様子であり、絵を描くためにまず良秀はその様子を実際に見てみようと試みます。 夢の中で地獄の光景を見たり、弟子を鎖で繫いだり猛禽に襲わせたりしながら地獄変の屏風は描き進められていきましたが、しかし燃え盛る牛車の中で苦しむ女を描けません。

良秀はそれから半月ほど悩みましたが、どうしても燃え盛る牛車の絵が描けません。 そこで殿様に実際に見せては貰えないかとお願いしたのですが、それを殿様は妙に上機嫌な様子で快諾しました。

そして約束の日、殿様は牛車の中に良秀の娘を入れて焼いてしまいました。 その凄惨な光景を見た良秀の顔は最初は悲しみと驚きに彩られていましたが、やがては恍惚な表情へと変わっていきます。 良秀が炎の前で両腕を組んで佇む姿には、怪しげな厳かさすらありました。

良秀はそれから1月ほどで地獄変の屏風を描き上げて献上しました。 屏風は見るものを厳かな気持ちにさせ、その出来は偉い僧侶様ですら感嘆するほどのものでした。

それから御邸で良秀を悪く言うものはなくなりましたが、その頃には良秀はこの世にいませんでした。 一人娘を先立てたせた良秀は屏風を献上した翌日に首を吊って死んだのです。

感想

芸術に一途な男の悲しい物語です

あらすじでは省略しましたが、この物語にはもう1人の良秀がいます。 良秀と名付けられた礼儀正しく人間のように振舞うサルで、人間なのにサルのようと評される画師の良秀とは正反対の存在です。

そんなサルの良秀は娘に可愛がられ、最後は燃える牛車の中へと飛び込み、娘と共に焼け死にます。 燃える牛車を外から眺める良秀と、中に飛び込んで一緒に焼け死んだ良秀の対比はとても印象的でした。

絵師の良秀もサルのように中へ飛び込んで一緒に死にたい気持ちがあったに違いありません。 だからこそ屏風を仕上げた翌日には死んで娘の後を追ったのでしょう。 そんな親としての良秀を象徴したのが、サルの良秀だったのではないでしょうか。

残された良秀は見事な地獄変の屏風を完成させました。 誰が見ても荘厳な気持ちになる屏風を描けたのは、愛する娘が燃やされたという地獄を見たからこそだったのかもしれません。

この小説の題名である「地獄変」は、果たして屏風のことを指しているのでしょうか?はてさて。

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