何んでも無い(夢野久作)のあらすじ

何んでも無いは1936年に発表された夢野久作の怪奇小説です。 登場する少女に訪れる地獄を描いた短編集「少女地獄」に掲載されている話のひとつです。

病院を開業した臼杵医師の下に、看護婦として働きたいという姫草ユリ子がやってきました。 彼女は素晴らしい看護婦でしたが特殊な性質を持ち、それは周囲と彼女自身を奇妙な運命へと導くのでした。

臼杵医師から白鷹医師への手紙

姫草ユリ子が自殺しました。 彼女はあなたと小生を呪いながら自殺したのです。 彼女の妄想によって描き表した地獄絵巻は、遂に彼女自身を葬り去らなくなってはならなくなったのです。

本日、曼荼羅と名乗る医師がユリ子の遺書を持って訪ねてきました。 遺書にはあなたと私に弄ばれたため自殺するとあり、ユリ子はモルヒネを注射して死んでいたそうです。

曼荼羅氏は若く美しい女性が死ぬのは相当の理由があると考え、ユリ子を信じて私を糾弾しにやってきたようです。 しかし事情を知る田宮特高課長を呼ぶ最中に逃げたので、彼がどんな人間で彼女とどのような関係だったかは分かりません。

ユリ子は新聞に大きく取り上げられた「謎の女」に相違ないことが分かりました。 誘拐された少女を装って通報して警察を振り回した事件です。

そんな嘘の天才があなたがご懸念されている彼女で、この間まで小生の病院で看護婦として働いていた彼女であります。 単なる一少女が我々を奇妙な運命に陥れ、彼女自身を葬らなければならなくなった動機はどこにあるかを分析すべく、私の日記を報告文体にしてまとめます。

姫草ユリ子との出会い

昨年の5月末日の夕方、横浜に構えた私の病院に姫草ユリ子が看護婦の仕事を求めてやってきました。 ユリ子は青森の裕福な家に生まれた19歳の少女で、女学校を出て長野県でK大の看護婦として働いてたが、自分で運命を開くために上京したそうです。

本来なら彼女の身元を確かめてから雇うべきですが、彼女のあどけなさと健気な態度から私はすぐに採用を決め、また妻と姉も乗り気でした。

彼女は隆鼻術の施しやすい小鼻をしており、施術してみると驚くような美少女になりました。 また仕事ぶりや患者への気遣いも素晴らしいもので、病院の仕事を非常識に近いところまで任せていました。

彼女のおかげで病院は繁盛して彼女の給料を増やさなければと考えていた頃、奇妙とも不思議とも例えようがない事件が彼女を中心に渦巻き、遂には破局に至ったのでした。

白鷹医師を語るユリ子

ある日ユリ子に軽口を言うと「白鷹医師にそっくり」と言われます。 聞けば前の職場に母校の尊敬する大先輩である白鷹医師がいたそうで、話が弾ずんで「お目にかかりたいから電話を入れておいて欲しい」と頼みました。

ユリ子は「看護婦風情が紹介するなんて失礼ではないか」と奇妙に薄暗い顔を見せましたが、すぐに快活さを取り戻して電話室へ走っていきました。 私はこのとき彼女に一杯食わされており、また彼女も致命的となる悩みの種をまくことになったのです。

彼女の話す白鷹医師は私の知る人物ではなく、別の白鷹医師をベースに彼女が創作した架空の人物だったのです。 彼女の創作能力は後に怪奇劇を編み出すことになるのでした。

白鷹医師との奇妙な行き違い

開業から3か月後の9月に白鷹医師から電話がかかってきます。 彼女の説明通り快活そうな声の主は以前のユリ子の働きぶりを褒め、在京医が毎月3日頃に集まる「庚戌会」で話そうと誘ってきました。

しかし会の前日、ユリ子は白鷹医師から仕事で行けないかもしれない旨の手紙を預かったと言います。 ユリ子は文句を言いましたが、私は「会おうと思えばいつでも会えるさ」と言って宥めました。

そして10月になると白鷹医師が風邪をひいて庚戌会に行けそうにないと連絡があったことをユリ子が伝えてきました。 それから数日後、埋め合わせとして歌舞伎座への誘いがありましたが、その日は私が出張だからとユリ子が断ったそうです。

更に11月3日になると、ユリ子から白鷹医師の奥さんが卒倒した連絡を受けます。 ユリ子が午後からお見舞いに行くと言うので、私も今夜お見舞いに行くことを言い伝えておくよう頼みました。

仕事を終えて家族に事情を話すと、妻は前々からユリ子が変だと漏らします。 白鷹医師に会えないのはユリ子が何か細工をしているからで、またユリ子は19歳とは言うが休憩中の彼女の顔は二十中頃のものに見えたと言います。

妻がお見舞いに行かずに庚戌会に行けば本当の白鷹医師に会えると言うので、気乗りした私は庚戌会に行ってみることにしました。

白鷹医師との出会い

庚戌会に行ってみると学生時代の写真の面影を持つ白鷹医師を見つけました。 しかし挨拶しても軽く礼を返すだけで、私のことを訝し気に見て黙っています。

倒れた奥さんの容態について聞いても、ずっと家にいて何事もないと答えます。 それじゃあ嘘なんですかと独り言のようにと問うと、嘘も何も私は君と初対面だと言うのです。

周囲の人々はどっと笑いましたが、白鷹氏は「姫草ユリ子のヤツ…」とよろめきました。 そして「姫草ユリ子が…また…何かやりましたか」と、何か事情を知っているような物言いをします。

するとそこに私宛の電話がかかってきたと連絡がありました。 代議士の先生が卒倒したから至急来て欲しいという内容で、若い女からで名前も言わないという話に私はピンときました。

ユリ子は私が裏切るように庚戌会に来たことを知り、白鷹氏との会見を邪魔しようとしたのでしょう。 激しく狼狽した私はお辞儀をして部屋を出て、沸き起こる爆笑を背にその場をあとにしました。

電車に乗ってから白鷹医師にもっと事情を聞けばよかったと思い、そして白鷹氏の声が以前電話で話したものと全然違ったことに気付くのでした。

ユリ子の告白

駅について自宅へ帰る途中、ユリ子が悲しげな声で私を呼び、白鷹医師について話があってここにずっと立っていたと言います。 並んで歩きながら彼女は事情を打ち明けるのでした。

前職にて白鷹医師はユリ子と一線を超えようとして、それを望まないユリ子は夫人に訴えて仲裁して貰ったそうです。 それを機に夫人に気に入られて世話をしてもらったものの、過分な厚遇が同僚の妬みを買い仕事を辞めるハメになったことを語りました。

白鷹医師が私と中々会おうとしなかったのはそのためで、また庚戌会にておかしな態度を取ったり変なことを吹き込んだのではないかと心配になったと言うのです。

私がどんな言葉で彼女を慰めたか覚えていませんが、白鷹氏が憤慨するようなことばかりだったことでしょう。彼女を宥めて病院に帰すと私は自宅に帰りました。

白鷹医師からの電話

自宅へ帰ると白鷹医師から電話があったことを聞きます。 内容はユリ子に関することと、私たちへの忠告でした。

ユリ子はかつてK大で看護婦として働いており、天才的な看護婦であると同時に天才的な嘘つきでした。 身分ある人と婚約したとか、俳優との子どもができたとか、医員の誰と関係を持ったとか言って風紀を乱した末に、退職処分となったそうです。

白鷹夫人が彼女の才能と行末を惜しんで引き取って教育したものの、やがて無断でいなくなりました。 気にかけていると6月頃にユリ子から電話がかかってきて、立派に病院で勤め始めたから以前のことは秘密にして欲しいと連絡してきたそうです。

白鷹夫婦はこれを信じずに病院に手紙を出しましたが返信は来ませんでした。 不安になっていたところへ私が庚戌会にやってきて、様子がおかしかったから連絡したということです。

妻が問い合わせたところによると、ユリ子に聞いていた白鷹医師の話はほとんどデタラメということでした。 話を聞くうちに姫草ユリ子の純真無邪気な姿が醜い骸骨になる光景を幻視しました。

しかし妻はあの娘を憎む気にはなれないと言い、また白鷹夫人も同じ気持ちだったそうです。 ユリ子は嘘つきと分かってもなお彼女のことを悪く思えない、恐るべき魔力を持っているのでした。

特高の取り調べ

私は同窓だった新聞局員の元へ行き、彼女の話を打ち明けてどうすべきか意見を聞いてみました。 するとそんな奇妙な活動をするのはテロリストぐらいだから特高へ行けと言われます。

隣家に住む田宮特高課長に相談すると、テロリストかもしれないので尋問してみることになります。 ただ病院に悪い噂が立つのを避けるため、ユリ子に用事を命じて外で捕まえることになりました。

翌朝、計画通りにユリ子が出ていく姿を見送り、その日はそのまま帰ってきませんでした。 そして更に翌朝、取り調べの結果を聞かされます。

ユリ子はテロリストではありませんでしたが、その身上はウソだらけでした。 青森の出身は本当でしたが、家は貧乏で女学校は出ておらず名前や年齢すら嘘でした。

しかし田宮特高課長は「これらの嘘は犯罪というほどではないし彼女はただの可哀想な女だから、病院に末永く置いてやって欲しい」と言うのでした。

ユリ子の真実

しょんぼりとしたユリ子を連れ帰って取り調べの様子を聞くと、彼女は泣きながら苛烈な尋問の様子を雄弁に語りました。 興奮する彼女の眼には妖艶で怪しい情欲の光が宿り、その様子から単純明瞭な真実が見えてきました。

同僚の看護婦にユリ子の月経周期を確認すると、彼女が嘘を付く時期は月経周期と重なっていました。 彼女は月経の憂鬱症から来る発作的精神異常者であり、不安を感じると虚栄心が起こって事実無根の嘘を喋り回る性質だったのです。

田宮氏に確認すると、ユリ子が取り調べで語ったことも、私たちに語った取り調べの様子も嘘だらけでした。 可哀想な女と言ったがとんでもないやつだと笑い合い、帰りがけに彼女が言っていた身元引受人の叔母のところへ電報を打ちました。

夕方頃にやってきた女性は、彼女に世話を受けた縁で身元保証人になっただけで叔母ではありませんでした。 そして女性はユリ子が東京中で話題になった「謎の女」ではないかと疑っていることを話します。

女性はユリ子を連れていき、それから冒頭の遺書の他に音沙汰はありません。 それでも彼女を目当てに病院を訪ねてくる患者はなかなか尽きません。

虚構の天国

病院内部を調査しているうちに、ユリ子が9月頃に注射器とモルヒネを盗んだのを同僚が見ていたことが分かりました。 ユリ子は秘密がバレたらお前を殺して自殺すると口止めしていたので言えなかったそうです。

私はこの時、ユリ子が嘘に命を賭けていたことを知りました。 嘘が露見したら自殺しなければならないほどの窮状の日々を送り、その緊張感に神秘的な生きがいを感じていたのでしょう。

私たちは彼女を毛ほども憎んでいません。 報われない世の中に空想した虚構の天国を命がけで抱きしめ、それが壊され自殺してしまった彼女を家族一同悲しんでおります。 彼女は罪人ではなく創作家に過ぎないのです。

私たちは面目のために彼女を破局へと追い詰め、幻滅の世界へとたたき出しました。 だから彼女は、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。

彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。 ただそれだけです。

このことをご報告し、ご安心を願いたいためこの手紙を書きました。 さようなら。彼女のために祈ってください。

感想

読んでいると「ユリ子の不可思議な行動は一体何が目的なのか」と想像が膨らみますが、読み終わってみるとタイトル通り「何でもない」ことでしたね。

ユリ子は自分がよく見られたいがために何でもない嘘をつき、その舞台演出能力も相まって中々破綻しません。 しかし嘘を本当にするために嘘は膨らみ続けて最後は破綻するという、一種の教訓めいたものを感じます。

組み上げた虚構に苦しめられるというのは、ユリ子ほどでないにしろ誰もが似たような経験をお持ちだと思います。 あるいはまるでユリ子のような立ち振る舞いの人が周囲にいるかもしれません。

この話を読んでドキリとさせられてしまう人が多いようですが、話に共感・実感できる部分が多いからなのでしょうね。

B!

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