吾輩は猫である(夏目漱石)のあらすじ

I Am a Cat

吾輩は猫であるは1905年に発表された夏目漱石の全11話の連載小説で、冒頭の「吾輩は猫である。名前はまだない。」の一文が特に有名な作品です。 ネコはまるで人間のように思慮深く博識ですが、それは言わないお約束でしょう。

教師である苦沙弥(くしゃみ)に拾われたネコが、人間模様や人間社会をネコの目を通して風刺的に語るお話です。 ショートエピソードの集まりなので、本稿ではいくつか抜粋する形で紹介します。

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  1. あらすじ
  2. 感想

あらすじ

吾輩は猫である

吾輩は猫である。名前はまだない。

産まれて間もなく捨てられ、主人の家に迷い込んだ縁で飼われています。 名前を付けて貰えなかったので、自分のことを吾輩と呼んでいます。

主人の苦沙弥は英語教師をやっていて、家に帰ると書斎に籠り、勉強する振りをして寝ています。 教師がこんなに寝ていても務まるのなら、ネコにでも務まるのではないでしょうか。

吾輩は人間を観察するほど、人間ほどワガママな生き物はいないと思うようになりました。 特に子供は言語道断であり、吾輩を逆さに持ったり、放り出したり好き勝手するくせに、吾輩が少しでも手出しすると家族総がかりで迫害してきます。

筋向こうに住む白猫は産まれた四匹の子猫のうち三匹を池に捨てられ「猫が親子愛を全うするには人間を滅ぼさなければならぬ」と言っています。 その通りだと思いますが彼女に比べれば吾輩は呑気なもので、毎日をどうにか過ごせれば良いと思っています。

人の世がいつまでも続くなんてことはないから、猫の天下が来るのを気長に待つのが良いでしょう。

迷亭に騙される主人

主人は特に人より優れた所はなく、俳句、詩、英文、ヴァイオリンなど何にでも手を出しますが何一つモノになっていません。 そのクセにやり始めると熱心で、今度は水彩絵具を買ってきて書斎で絵を描き始めたようでした。

しかしあまり上手くいかないようで、友人の美学者である迷亭に相談すると「大芸術家アンドレア・デル・サルトは『自然はこれ一幅の大活画なりと』言った。君もまず写生から始めてみなさい。」と勧められました。

主人はなるほどもっともなことだと感心したようですが、迷亭のメガネの奥にはあざけるような笑いが見えました。

その翌日に縁側で昼寝をしていたところ、ふと気づくと主人は吾輩の絵を描いているようでした。 熱心に描いているのを邪魔をしては悪いと寝たふりを続けてモデルを務めました。

やがて小便が我慢できなくなって動きだすと主人は怒りました。 吾輩が付き合ってやったのも知らずにいい気なものです。

再び迷亭が訪れた際、主人は「写生によって色々なことに気付かされた、西洋美術が発達したのは写生をよくしていたからだろう。」と言うと、迷亭は「あれはデタラメだ」と笑いながら白状しました。 迷亭は適当なことを言って人を担ぐのを楽しみにしている男なのです。

正月の吾輩

正月だというのに主人は牡蠣のように書斎にへばりついています。 年賀の客の相手をするのが嫌で玄関を不安そうに見ています。それなら外出すれば良いのにそんな勇気もないのです。

しばらくすると主人の旧門下である寒月さんが来たと下女が伝えます。 寒月くんは学校を卒業して主人よりよほど立派な人物になったという話ですが、どういう訳かよく遊びにきます。

主人もまんざらでもないようで、二人は他愛もない話をした後に散歩に出ていきました。 主人が帰ってきたのは夜遅くです。

翌朝主人は雑煮をよく食べ、妻が食後の胃薬を出すと「それは効かないから飲まん」と言いっています。 盗み見た日記によれば「寒月くんとの晩酌で今朝は胃の調子が良い。これからは胃薬に毎晩酒を二、三杯飲もう」なんて書いていました。

餅のことを考えていると何だか餅が食べたくなり、主人の食べ残しを頂くことにしました。 いざ餅を目の前にすると大して食べたいものには見えませんでしたが、「この機を逃すと生涯餅の味は知れない」と思うと意を決して餅にかぶりつきました。

しかし餅は噛んでも噛んでも噛み切れず、どうにも始末を付けられなくなってしまいました。 必死で餅を剥がそうとジタバタしていると人が集まってきて、笑われたり怒られたりした後にやっと助けて貰えました。

こんな失敗をした日は近所の三毛子の所に行くに限ります。 三毛子は近所の有名な美猫で、気分がすぐれない時は彼女を訪問して色々な話をします。 すると不思議と気が晴れるので、女性の影響とは大きなものです。

三毛子の死

ある日に三毛子を訪ねようとしましたが見当たらず、家の人々の話から三毛子が病気で臥せっていることを知ります。 しかも三毛子の飼い主たちは吾輩に病気をうつされたのだろうから、今度見たら叩いてやろうなんて話しているようです。

とんだ冤罪ですがこうなると近寄ることもできず、その日は退散しました。 後日気になって様子を見に行ったところ、三毛子が死んでしまった事を知ります。

それからは世の中に嫌気が差し、主人同様に出不精な猫になってしまいました。 幸い人間の知古がいるので退屈はしません。

吾輩の終わり

吾輩がこの世に生まれて2年が経った頃、そう遠くない未来に胃病で死ぬ主人のことを考えていました。 死ぬのが定めで生きていても役に立たないのなら、早くあの世へ行った方が賢いのかもしれません。

何だか気がくさくさしてきたので、景気付けに人間が飲み残したビールを飲んでみることにします。 不味いと思いながらも良薬口に苦しだとビールを飲むと不思議といい気分になり、フラフラと歩いているうちに足を踏み外して、気付いた時には水桶に落ちていました。

脱出しようともがきましたが抜け出せそうにないので、諦めて自然に任せることにしました。 吾輩は死んで太平を得ます。南無阿弥陀仏ありがたや。

感想

ネコが語ることは人間がそのまま言うと嫌味に取られかねませんが、それを吾輩の口から語らせることによって柔らかくユーモラスに受け取れるのは何とも不思議ですね。

この話の登場人物にはモデルがいると言われており、飼い主の苦沙弥は漱石自身がモデルです。 作中の妙な話もきっと漱石の体験が元になっているのでしょう。

また「吾輩」も漱石の家に迷い込んで居着いた猫がモデルになっています。 猫は病に侵されて最期を迎えたので、何から何まで同じという訳ではありませんけどね。

早晩胃病で死ぬ苦沙弥先生について語る吾輩は、漱石自身の未来を見つめての話だったように思います。 本作の発表から11年後、漱石は胃潰瘍によって49年の生涯を終えています。

己の晩年を吾輩を通して見据えていた漱石の心境は如何なものだったのでしょうか。 死を太平だと考えていたのか、あるいは死を太平だと思わなければやってられなかったのか。

本作はそのまま素直に読んでも良いですが、漱石の経歴を知った上で読むとまた違った味わいがあります。 お読みの際にはそのように二度読んでみることをお勧めしたいです。

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