ロビンソン・クルーソー(ダニエル・デュフォー)のあらすじ
ロビンソン・クルーソーは1719年に発表されたデフォーの冒険小説です。 主人公のロビンソン・クルーソーの18歳から50半ばまでの半生を描いた作品で、その大半は無人島でのサバイバル生活です。
ロビンソン・クルーソーと言えば無人島の話とイメージする人が多いと思いますが、まあ実際そんな感じです。 無人島に着いて数年も経った頃には無人島生活も板につき、結構安定した生活を営んでいたりします。
初航海
私はイギリスの良家の三男として生まれました。 長男は軍属で既に戦死し、次男がどうなっているのかは私も知りません。
父は私を法律家にするため勉強させましたが、放浪癖のある私は船乗りになりたいと考えていました。 両親は危険のないちゃんとした職に就くよう言いますが、私は18歳の頃に家出してロンドン行きの船に乗り込みます。 これが運の尽きでした。
ひどい嵐が起きて海は荒れ狂って船は沈み、我々は緊急用のボートを漕いで何とか陸地に辿り着きました。 航海の危険を思い知った私は家に帰ろうかとも考えましたが、少し経つとすっかりその気持ちも薄れて今度はアフリカ行きの船へと乗り込みました。
アフリカ編
アフリカへの航海で得たものは多く、船長から航海術や天体観測などの船乗りとしての知識を学びました。 そしてアフリカで買い付けた砂金をロンドンで売ると大金になり、気を良くした私の心には野心が生まれます。
もう一度アフリカに行って交易しようと船に乗り込みましたが、航海の途中で海賊に襲われ私は奴隷になってしまいました。 モロッコで二年ほど奴隷暮らしをした頃、隙を見てボートに荷物を積み込み、釣りで沖に出た時を狙って一緒にいたムーア人を海に放り投げ、奴隷少年と一緒に逃亡を図りました。
普通なら北のヨーロッパ方向へ逃げる所ですが、我々は南アフリカを目指しました。 追手を欺いた上で交易しているヨーロッパ人に助けて貰える可能性に賭けたのです。
我々は時々陸地で水と食料を調達しながら南下し、時には猛獣に襲われながらも航海は続きます。 そうして二週間が過ぎた頃、通りかかったポルトガル船に収容して貰えることになりました。
ブラジル編
ポルトガル船はブラジルへの航海の途中であり、親切な船長は私の所持品を買い取ってくれました。 やがてブラジルへと上陸し、私は船長に紹介された農園経営者の下で働くことになります。
ブラジルで下働きをして二年が経ち船長がイギリスへ戻る時期となると、イギリスにある私の資産で交易をしてくれる申し出がありました。 私は申し出に感謝し、やがて届いたイギリスの品々を売却して莫大な利益を上げることができました。
ブラジルに来て四年が経ち事業が成功して軌道に乗ってきた頃、農園経営者らから奴隷船の監督人としてギニアに行って欲しいと依頼されます。 黒人奴隷の売買には国の許可が必要ですが非常に高価なため、自分たちでこっそり行って確保してしまおうという訳です。
実業家として成功していた私にとって、この話はさほど魅力的なものではありません。 しかし持前の放浪癖が出た私は心惹かれ、愚かにも順風満帆だった事業を放り投げて危険なギニア行きの航海を承諾してしまいます。
無人島編
ギニア行きの航海の途中、猛烈な暴風に晒されて船は座礁してしまいます。 乗員たちは備え付けのボートを漕いで陸地を目指すも、大波にさらわれて転覆し我々は海に投げ出されました。
私は無我夢中で泳ぎなんとか陸地にまでたどり着きましたが、他には誰一人助からなかったようです。 そして身一つで知らない島に置かれている私の状況も助かったとは言い難いものでした。
状況を確認してみると船は沈まずに残っており、泳いでいくことが可能でした。 積荷も多くが無事で、これ幸いと船から食料と大工道具とピストルを持ち出して陸地へと戻りました。
まずは島を探検してみようと小高い山に登って周囲を見渡してみると、ここは海に囲まれた孤島であることが分かりました。 鳥、ネコ、ウサギ、ヤギなどの動物が住んでいるようですが、人が住んでいる気配はありません。
船が沈まないうちに何度も往復し、数日かけて一通りの荷物を運び上げました。 そして拠点として快適な場所を探し、斜面にテントを張って仮住まいとしました。 船から連れて来た一匹のイヌと二匹のネコを友人に、私の孤島生活が始まります。
住居と食料は何とかなりそうですが、自分の置かれている現状は芳しくありません。 この島に漂着したのは激しい暴風に流されたからであり、通常の航路から大きく外れています。 船が近くを通る可能性は低く、孤島で死んでいけという神の導きのようにも思えました。
しかししばらく生きていくのに十分な物資は手に入れられたし、島は温暖で食料は豊富にあり危険な獣もいません。 私は有り余る時間を使って少しずつ生活環境を改善しながら日記をつけ始めました。
それから家具を作り住居を整え、獣や魚を狩り、毛皮から衣服を作り、穀物を植えて農業を始めたりしました。 豪雨、地震、病気などのトラブルもありながらも日々を過ごし、無人島の暮らしを始めて一年が経ちました。 島の近くを船の一隻も通ることはなくその生活は孤独なものでしたが、食べるには困りませんでした。
オウムのポルと子ヤギを捕まえて飼い、二匹はすっかり私に懐き新たな家族の一員となりました。 そうして二年、三年と時間は過ぎていき、生活は楽になり肉体的にも精神的にも安定するようになりました。 足るを知り神に感謝することを覚えたのです。
人の痕跡の発見
そして十年以上が過ぎたある日、私は島に人間の足跡を見つけました。 この島は私が考えるほど絶海の孤島という訳ではないのかもしれません。 大陸から来た野蛮人が偶然上陸したに違いない、もし私が見つかれば殺されてしまうかもしれないと恐怖にかられます。
今まで一度も探索した事がなかった島の南西端に行ってみると海岸一帯に人骨が散らばっており、私は人食い蛮人がこの島に度々上陸していることを確信します。 安全な隠れ家を作ったり、家畜を目立たない場所に移したりと、私は外敵への備えに腐心しました。
それから私は野蛮人に見つからないよう用心深く生活するようになりました。 蛮人たちを銃で皆殺しにすることも考えましたが、彼らが私に危害を加えようとしている訳でもありません。 身を隠して蛮人に見つからない事が最善だと確信し、一層閉じこもった生活を送るようになりました。
そうしてこの島に流れ着いてから23年の月日が経ちました。 余生をこの島で過ごしひっそりと死んでいくのも悪くないのかもしれません。
フライデーとの出会い
その年の十二月、海岸に焚火の灯りが見えたので私はひどく驚きました。 望遠鏡で見てみると焚火の周りに九人の裸の蛮人が座っています。
彼らは潮の流れが変わると船に乗って島を出ていき、他の三隻の船とともに本土へ向かっていきました。 焚火の跡を調べると人の肉や骨が散らばっており、奴らが人肉を食べていることを確信した私の心には怒りがこみあげてきました。
更に日が経ったある朝、五隻もの船が海岸に来て火を焚いている姿を見つけました。 今までよりも遥かに多い人数であることに私は驚きました。
望遠鏡で様子を見ていると、二人の男が引きずられている姿が見えます。 そのうち一人は棒で叩き殺され、蛮人たちは死体を切り刻み始めました。 そしてもう一人の男はその隙を突いて逃げ出し、私の家がある方へと走って来たのです。
しかし追手が少ないのを見ると、私は逃げる男を召使として手に入れようと動き出しました。 そして間に入り込み、追手二人を斃して逃げる男を助けました。 追手たちは土に埋めて隠し、残りの蛮族たちは不審に思いながらも翌日には島から去ったようでした。
男は私を恐れながらも少しずつ近づいてきて、命乞いをしながら忠誠を誓うような仕草をしました。 助けた日が金曜日だったので彼をフライデーと名付け、身振り手振りでコミュニケーションをとりながらフライデーとの共同生活が始まりました。
フライデーは忠実で真面目で愛嬌があり、こんなに良い召使は他にいないのではないかと思うほどでした。 食い扶持は増えましたが、この年は島で過ごした中で最も愉快なものになりました。
フライデーがある程度言葉を覚えると色々質問し、白人のいる場所へ行く方法がないか尋ねてみました。 フライデーは自分の国には難破して漂流してきた白人も住んでおり大きな船があれば行けると言い、私は孤島から脱出する希望を抱きます。
イギリスへの帰還
ある天気の日に丘の上からフライデーが「自分の国が見える」と言います。 フライデーは私と一緒に国に帰りたいと言い、私も本格的に島からの脱出を考えるようになりました。 それから三か月がかりで立派なボート船を作って出港の準備をしていると、新たに蛮人たちが島へとやってきます。
蛮人たちはフライデーの父とフライデーの国で暮らしているスペイン人を捕虜にしており、処刑し食べるために島に来ていました。 私たちは捕虜を救出すべく蛮人を銃で襲撃し、蛮人たちを打ち負かして救出に成功しました。 捕虜二人を助け出してこの島の人口は四人になり、私はちょっとした王様のような気分になりました。
スペイン人の話によるとフライデーの国には14人の白人がおり、本国へ帰ることが出来ずに食う物にも困って暮らしているそうです。 そのスペイン人たちを島へと呼び寄せるため、フライデーの父とスペイン人の二人は本土へと戻りました。
そして帰りを待っていると、なんと島にイギリス船がやってきます。 なぜこんな場所にイギリス船がと思うと、中からは三人の捕虜と船乗りたちが出てきて島で休息を始めました。 隙を見て捕虜たちに話を聞くと、部下が反乱して船長たちが捕虜になったそうです。
そこで私をイギリスへ乗せていくことと引き換えに、反乱を鎮圧して船を取り戻すことに協力することにします。 私たちは人数に劣り相手は銃を持っていましたが、地の利と策略を活かして打倒に成功し、私とフライデーは島から脱出することになります。 私がこの島を出るのは実に28年2か月と19日ぶりのことでした。
それから長い航海をして私はフライデーと共に35年ぶりにイギリスへと帰ってきました。 イギリスはまるで異邦のように目に映り、既に両親は他界し周囲から私はとっくに死んだものと思われていたようです。
以前持っていた資産や経営していたブラジル農園の権利を取り戻すことができ、それらを処分して私は大金持ちになりました。 ここまでが私の波乱の人生の第一章です。
散々な目に逢いましたが故郷に帰って大金を手に入れることができ、皆は私がこれ以上冒険をすることはないと思うことでしょう。 しかし私には放浪生活が染みついており、やがてもう一度旅に出て私の島を見たいと思うようになりました。 周囲はそれを止めるし結婚して子どもも出来たのでしばらくはじっとしていましたが、やがて生活が落ち着くと甥の船に乗ってあの島へと旅立ちます。
私の冒険はまだ10年以上続きますが、それはまた別の機会にお話ししようと思います。
感想
ロビンソン・クルーソーが家出したのが18歳、孤島に辿り着いたのが26歳、孤島を出たのが54歳と、そこまでの人生の半分以上を孤島で過ごしている計算になります。 島での生活に関する描写がとても多く、本作が「無人島に漂流した話」と評されるのはボリューム的に正しい認識だと思います。
あらすじではばっさりカットしましたが、無人島での試行錯誤は本作の見どころだと思います。 また物理的なものだけではなく心の機微の描き方も面白く、特に神や宗教に対する考え方の変化は考えさせられることも多いでしょう。
ロビンソン・クルーソーは無人島に4年ほど住んだ経験があるアレキサンダー・セルカークをモデルにしていると言われ、その島は現在「ロビンソン・クルーソー島」と呼ばれています。 この説は信憑性が疑問視されたりしていますが、ロビンソン・クルーソーがいた孤島の雰囲気を味わう分にはぴったりの島です。 興味があればぜひ調べてみてください。
ちなみにこのロビンソン・クルーソー、発売当初とても長いタイトルだった小説として有名です。 「The Life and strange surprising Adventures of Robinson Crusoe, of York, mariner, who Lived Eight-and-twenty years all alone in an uninhabited Isiand on the Coast of America, near the mouth of the great River Oroonque, having been cast on shore by shipwreck, where-in all the men perished but himself. With an Account how he was at last strangely delivered by Pirates, Written by Himself」と言い、簡単なあらすじみたいになっています。