風立ちぬ(堀辰雄)-あらすじと感想

THE WIND RISES

風立ちぬは1938年に雑誌連載されていた堀辰雄の中編小説です。 スタジオジブリ制作の映画に同名のものがありますが、小説と話の関連性は基本的にありません。 (※映画は本作をイメージして作られた作品であり、話や雰囲気は似ているけど別物です)

本作の題名にもなっている詩「風立ちぬ、いざ生きめやも」は元はポール=ヴァレリーの詩の一節です。 本来は「風が吹いた、さあ生きよう」ぐらいの意味なのですが、ややおかしな日本語になっています。 作者の誤訳だとか別の意図があるとか色々言われていますが、物語を読み終わった時にこの詩の意味を自分で考えてみると良いと思います。

あらすじ

序曲

「風立ちぬ、いざ生きめやも。」
ふと口を衝ついて出て来たそんな詩を、私にもたれている節子の肩に手をかけながら、口のうちで繰り返していました。

節子は3日後に父が迎えに来るから、そうなったらお別れになるかもしれないと言います。 3日後に食堂で他人のフリをしながら父親と一緒に食事をしていた節子は、ほどなく帰っていきました。

私は「きちんと生活できるようになったらお前を嫁に貰いに行くから、それまではお父さんの元にいるといい」と自分自身に言い聞かせまると、投げ出していた小説の仕事に取り組みます。

それからいくつもの季節が流れていきました。 節子と引き離されているのは一時的だという確信があったのに、こんなにも時間が経ったことを異様に感じていました。

それから2年後、私は婚約したばかりの節子の家を訪ねると、節子の父親が庭で手入れをしていました。 節子を結核治療のため富士見高原の療養所に転院させようと考えていると話し、私は節子に付き添うことを申し出ます。

翌月、幾分調子が良くなった節子を庭へと引っ張り出し、他愛もない話をしながら花を見ていました。 節子は自分の弱さを詫び、そしてあなたのおかげでなんだか急に生きたくなったと話します。

転院前に節子の病状を診察してもらうと、本人には言えないがという前置きで節子の病状が良くないことを聞かされました。 夕暮れの病室で眠っていると思っていた節子から不意に声をかけられ、泣いていたことを見破られます。 そして節子は医者に何を言われたのか察しは付くとこう言います。「これから本当に生きられるだけ生きましょう。」

四月の下旬、父に見送られながら新婚旅行に行くかのように、二人は療養所へと向かう列車に乗り込みました。

風立ちぬ

療養所は山の奥まった場所にあり、節子は二階の病室に、私はその側室で生活することになりました。 入院後に間もなく院長に呼ばれて節子のレントゲンを見せられ、病状が病院内でも二番目に重いものであることを知らされます。

節子は安静にするよう言われてずっと寝たきりでした。 節子がいないと何も残らないようなささやかな生活ではありましたが、私は節子と共にいるこの生活に満足していました。 代わり映えのない日々で、変化があるとすれば節子が時々熱を出すことぐらいです。

病室のバルコニーから見える初夏の夕暮はうっとりするほど美しく、私は「私たちがずっと後に今の生活を思い出すことがあればどんなに美しいだろう」と節子に話します。 節子は同意しながらも、自然が本当に美しく感じられるのは自分が死にゆくからではないかと言います。 私は節子の死にゆく魂が私に自然を美しく魅せていることに思い至り、節子が自分の最期を見つめている時に長生きした先のことを考えていたのを心から恥ずかしく思いました。

秋になって病院で最も病状が重かった患者が亡くなり、次は節子の番ではないかと良くない想像に悩まされます。 しかし一週間後に神経衰弱した患者が自殺した話を聞くと、何も順番が決まっている訳じゃないと思わずほっとしたような気持ちになりました。

十月に父が見舞いに来て、寝たきりの節子を見て不安そうにしていました。 半年の療養で節子の病気がもう治りかけていると思い込んでいて、そのアテが外れて落胆しているようでした。 また仕事もできずに節子に構いきりになっている私に詫び、二日間の滞在後に帰っていきました。

節子は父の前で無理に元気に振舞っていた反動が出て、その晩から危険な状態になりました。 絶対安静の日々が続き、節子は時々何かを言い出しそうになりましたが、私はそれを言わせないようにすぐ口に指を当てました。 そんな中で私は今の幸福は思っているよりも気まぐれで束の間のものではないかと考えるようになります。

一週間ほどで回復した節子に、この行き止まりから始まった生活の愉しさを小説にしたいと打ち明けました。 誰も知らないような俺たちだけのものを形にしたいと言う私に節子も承諾してくれます。

私は森を歩きながら二人の境遇を元にした小説を構想します。 それは病身の娘を男が献身的に介護し、やがて娘がそれに感謝しながら死んでいくというものでした。 彼女の死という結末が待ち受けていることに恐怖と羞恥とに襲われ、今の生活は自分の独りよがりなものではないかと考えます。

しかし節子に打ち明けると、節子はこの生活にこんなにも満足していて一度も家に帰りたいと思ったことはないと言います。 彼女の言葉を聞いて胸が一杯になった私はバルコニーからの景色を眺めると、あの時の幸福に似た、しかしもっと胸を締め付けられるような見知らぬ感動で自分が一杯になるのを感じました。

それから私は午後になると療養所から出て雑木林を抜けた先の低い山の斜面に腰かけて小説の構想を練り、夕暮れに病室に戻る生活を始めました。

十一月の終わりころになると、私はノートに今までの生活から得た小説の構想をひとまず書き終えました。 しかしノートを何度読み返しても、物語の主題である「幸福」を味わえそうもなくなっている自分の姿を見出し始めていました。 自分たちが無駄に生きていたようには終わらせたくないのに、どうにも良い結末が浮かびません。

ある日の朝に節子が吐血し、用心のため看護婦を付けることになりました。 ほとんど出来上がっているノートは放りだしたままになり、ノートに描いてあるような幸福の中に今の不安な気持のまま、私一人で入っていくことができるのか疑問に感じていました。

十二月の始め頃、寝ている節子が不意に父親を呼びます。 ぎくりとしながら節子に確認すると、山肌の影に父親の幻覚を見ているようでした。 家に帰りたいのかと問うと、節子は「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と小さくかすれた声で答えます。

「御免なさいね。だけど、いま一寸の間だけだわ。…こんな気持、じきに直るわ……」 私は急に何もかもが自分達から失われてしまいそうな、不安な気持でいっぱいになりました。

死のかげの谷

それから1年後、私は三年半ぶりに節子と出会った村へとやって来て、山小屋を借りて独り暮らしを始めました。 ここで夏を過ごす外国人達は「幸福の谷」と呼んでいるようですが、こんな寂しい谷は私に言わせれば死のかげの谷でした。

山小屋には寝台や椅子など何から何までがちょうど節子と私のためであるかのように二つずつありました。 こんな山小屋で節子と一緒に過ごすことをどんなに夢見ていたことでしょう。

ある日、山小屋に注文していたリルケのレクイエムが届いていました。 私は節子を静かに死なせておけずに求めてやまなかった自分の女々しさに後悔に似た感情を抱きながらレクイエムと向き合っていました。

クリスマスの夜、村人の家でクリスマスの祝いをした帰り道、枯藪の中にぽつんと光が落ちているのに気付きます。 一体どこから差している光だろうと谷中を見回してみると、明かりは私の小屋から出ているもので、そこから谷中を覆うように小さな光が雪の上に点々と散らばっていました。 しかし小屋まで帰ってきて一体この小屋の明かりはどこまで谷を照らしているのかと確認してみると、小屋の周囲をほんの少し照らしているだけでした。

「あれほど沢山見えていた光が、ここから見るとたったこれだけなのか」と独り言が出ました。 そしてふと自分の人生のまわりの明るさなんてたったこれっぽっちだと思っているけど、本当は小屋の明かりのように思ったより沢山あるのではないか、そして私の意識しないそういったものが何気なく自分を生かしているのかもしれないという考えが浮かびました。

節子が私を愛してくれたおかげで、私は生きていられる。 ふとベランダに出て谷を眺めてみると、最初は雪明りに包まれてひと塊に見えた谷の輪郭が浮かび上がり、その何もかもが親しく感じられました。 なるほど住み慣れれば私もここを幸福の谷と呼べる日が来るかもしれません。

さっと風が吹き、私の足下で落葉がさらさらと音を立てながら動いている…

感想

彼女の死という避けられない運命を受け入れつつも、それ故に生を強く感じさせられる物語です。 常に死が隣にあり死に向かって動いていく日々を過ごす二人の繊細な内面には儚くも美しいものを感じます。

節子が死んだ後に「私」は一人暮らしを始めますが、前向きに生きていくであろう予感を感じさせらます。 最後に風が吹いたのも「風立ちぬ、いざ生きめやも。」ということでしょうね。

作者の掘はこの小説の連載を始める約1年前に婚約者の綾子を亡くしており、節子は綾子がモデルとなっています。 この物語にも実体験による部分が多いと考えられ、あるいは綾子の供養や自身への慰めといった意味もあるのかもしれません。

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