火星の女(夢野久作)のあらすじ
殺人リレーは1936年に発表された夢野久作の怪奇小説です。 登場する少女に訪れる地獄を描いた短編集「少女地獄」に掲載されている話のひとつです。
学校の物置が全焼して中から黒焦げの遺体が見つかりました。それを機に校長が発狂して学校関係者が失踪する、奇妙な出来事が起こるのでした。
放火殺人事件
物置が全焼、中から黒焦遺体
高等女学校にて運動場の片隅にある物置が全焼し、中から黒焦げの遺体が発見されました。 検死によると遺体は20歳前後の少女で、遺体の周囲に燃料が置かれた形跡があります。警察は殺人放火事件とみて捜査していますが、犯人も遺体の身元も判明していません。 春休み中で生徒はおらず、住み込みの職員や当直にも怪しい点はなく、変質者が入ってきた形跡もないとのことです。
事件関係者の奇妙な行動
怪事件の責任で自主謹慎していた森栖校長は、事件後に女文字の手紙を読んで精神に異常をきたします。やがて枕元にその手紙と遺書を置いて失踪し、大阪で「火星の女は知りませんか、甘川歌枝はどこにいますか」と口走っているところを保護されました。
女教諭の虎間トラ子が校内で自殺しているのが発見され、また書紀を務めている川村英明が同校の金を盗んで姿をくらましたことも分かりました。 二人は森栖校長と親しく行方が分からないのを気にかけていましたが、行方が判明してこのような行動をとったのは裏があるように思われます。
校長が口走っていた甘川歌枝とは同校を先日卒業した「火星さん」というあだ名の運動競技の名手です。 発狂した校長は大阪の新聞社に就職した彼女を追ったと思われ、事件との関係性を調べています。
殿宮愛四郎、引責辞任
森栖校長が通っていた教会の礼拝堂の十字架上に山高帽とかんざしが引っ掛けてあるのが発見されました。 山高帽は森栖校長のもので、事件との関連が調査されています。
事件の日に最初に教会にきた少女・殿宮アイ子の取り調べ中、一時帰宅した彼女は重病の母親を伴い、父宛ての手紙を残して行方をくらましました。
殿宮アイ子の父・殿宮愛四郎は教育行政官にして政界の大物ですが、手紙の重大性を鑑みて引責辞任を決意したようです。
殿宮アイ子の置き手紙
焼死されたのは甘川歌枝さんで、自殺に間違いありません。
森栖校長の帽子と舞子さんの花かんざしをかけたのは私で、その理由は警察に白状しておきました。
警察は甘川歌枝の投書により、お父様の裏の生活をご存知の様子です。 私が家出したのはお母さまを静かに看病をするためなので、お互いのために探さないでください。
火星の女より
森栖校長先生
火星の女より
森栖校長に復讐することが出来て嬉しくて仕様がありません。 私の死体は黒焦になって発見され、新聞を騒がせることでしょう。
この手紙は一週間後に出してくれるようお友達に頼みました。 校長先生が黒焦死体を見て手紙を読んでも誤魔化すようならこの写しを警察へ、真相を闇に葬ろうとする方々がいたらある方面へ発表するようお願いしています。
私の手伝いをしてくださってる親友が誰かは考えない方が良いでしょう。 その方は私のような通りがかりの出来事の恨みではなく、母親を悲惨な運命に陥れた悪魔を探しておられた方です。
森栖校長は家族を亡くし人生を教育事業に生涯を捧げた教育家の模範と言われていますが、校長のような悪魔が模範教育家として女性を指導するのは私には耐えられません。 ご自分の罪を発表して社会から姿を消すほかに方法はないことを覚悟して頂きます。
私は校長先生のような腐敗・堕落した男性の方々に「火星の女の黒焼」を差し上げたいのです。 男性に都合のいい道徳観念と常識を発達させた日本の男性に、火星の女は使命を果たすのです。
甘川歌枝の学生生活
私は昔から背が高いのを笑われてきました。 女学校に入ってからは露骨な侮辱はありませんでしたが、友人の殿宮アイ子さんを除いては私を冷たい顔で見ているようでした。 勉強と器量を争う方には私がさぞ劣等に見えたのでしょう。
しかし運動会が近づくとちやほやされました。 校長先生や学生たちに「火星さん」と陰口を言われても、運動会が近づくと私の気持ちを気にもせずに引っ張り出すのでした。
私は休み時間になると運動場の片隅の物置の二階に上がり、横たわって雨戸越しに空を見ました。 私の心の空虚と青空の向こうの空虚を見比べて物思いにふけり、寂しい私を慰めるのが楽しみになっていました。
物置の密談
放課後になると森栖校長と川村書記が物置にやってきて、帳簿を誤魔化したとか会費を着服したとかで度々密談をしていました。 校長先生はその地位と名誉を金儲けに利用して、秘密の場所にお友達を集めて遊んでいるようです。
私はそんな話を盗み聞きするのが面白く、何度か温泉ホテルを見に行ったこともあります。 このような浅ましい世間を知って私の心も強くなり、また空虚な心が慰められるようでした。
しかし卒業式の日、家で両親が「あれが片付かないと妹を嫁に出せない、いっそ病気で死んでくれればほっとするのに」と話しているのを聞きました。 自殺するほか道がない立場を暗示され、それでも気弱で自殺なんてできない女の悲しみがお解りになりましょうか。
私は夕方こっそり家を抜け出して、廃屋の二階へと向かいました。
森栖校長との事件
物置へ着くと暗闇の中から出てきた森栖校長に抱きしめられ、愛の言葉を囁かれました。私は「お互い寂しい心は分かっている」というお言葉に打たれ、されるがままになってしまいます。
森栖校長はお金に汚くても女性関係は潔白と信じており、私を他の女性と間違えていることを察せなかったのです。後からやってきた虎間トラ子先生ともみ合いになり、何とか物置の外へと逃げ出しました。
離れた場所で身を潜めていると二人が言い争う声が聞こえました。 虎間先生が「こんな風にして何人もの生徒や母親に手を出していることを知っている、殿宮アイ子はあなたの実子ではありませんか」と言うのが聞こえてきます。
殿宮アイ子の母親は学校の卒業生であり、森栖校長が卒業前に妊娠させたそうです。 それを好色家の殿宮小公爵のところへ嫁がせ、夫を遊ばせて夫人を苦しめることを楽しみにしているとのことです。 虎間先生はこれを発表しても良いのですよと校長先生を脅します。
森栖校長の弁解により、虎間先生を昇進させることで話は付いたようでした。 そして今度は私の口を塞ぐ方法を話し合い、大阪とか廃物利用という言葉が聞こえるのでした。
秘密の発覚
私はショックで三日間寝込み、お医者様はどこも悪くないのを不思議に思い採血をして帰られました。 四日目の朝にようやく気分がよくなった私は森栖校長を恨む気持ちにはなれず、正しい道に戻るようお諫めするのが私の運命と思いました。
すると父親から「森栖校長から大阪の新聞社に斡旋する話がきた」ことを聞かされます。 新聞記者になりたいと考えていましたし待遇も大変良いものでしたが、大阪に追いやろうとしている事実は私を絶望的に悲しませました。
返事を躊躇う私を不審に思った父は、何か隠し事があるから行けないのではないか、この前の晩にどこへ行ったのかと、そしてお前が処女でないことは血液検査で判明しているのだと言いました。
泣き崩れる私に両親は悪いようにはしないから相手を言えと迫りましたが、私は森栖校長の名誉のために打ち明けることができませんでした。
血液検査についての補足
当時は血液で処女検査が可能という説が信じられていたようです。 現代では否定されています。
謝恩会
翌日は森栖校長の謝恩会の日でした。 登校すると森栖校長は普段通りにっこりした顔で大阪行きの決心はついたかと尋ねてきて、断ろうとするとあなたのためを思って言っている、これを断ればあなたに未来はないと冷酷な目でお説教されるのでした。
校長の様子を見た私は「私が火星人なら厚顔無恥な森栖校長は土星からきた悪魔に違いない、地球で生きていけないようにしなければならない」と決心しました。 そして少し考えさせて欲しいと生まれて初めて嘘をつくのでした。
謝恩会が済むと殿宮アイ子さんを訪ね、森栖校長が父親であることや義父が放蕩していることを明かします。そして私の指示通りに動いて欲しいことを話すと、アイ子さんは実の父・森栖校長を反省させる親切に謝意を示し、何をするのかは知らないが信用してその通りにすると約束してくれました。
計画の準備が完了したので大阪行きを承知すると、両親と校長の喜びは大変なものでした。 夕方すぐ出立すると家を出ましたが、私は大阪へ行きませんでした。 森栖校長たちがよく集まるホテルを目標に、悪徳を暴こうとしたのです。
暴露計画
森栖校長の後をつけると川村書記と殿宮小公爵が三人の芸妓さんと合流しました。私は隙を見て校長の山高帽と芸妓さんのかんざしを盗んで、街へと引き返しアイ子さんに託しました。
再びホテルへとむかうと三階の窓から校長の笑い声が聞こえたので、屋根に登って雨どいから様子を伺いました。すると中では森栖校長一行と五人の婦人たちが乱痴気騒ぎをやっており、その様子を写真に撮りました。
カメラのフラッシュを訝しんだ一行が窓の外に注目すると、私は屋根から逆さに乗り出し髪を振り乱しながら「森栖先生エエエ」と叫びました。 まるで女の生首が舞う様子を見た婦人たちは逃げまどい、校長は気絶してしまうのでした。
私は宿に戻り写真を現像して三通の手紙を書いています。 アイ子さんの郵便受けに入れておくので、頼んだ通りの順番で出してください。 私はこれから物置にて焼身自殺します。
森栖校長、あなたに女にして頂いたご恩をお返しします。 どうぞ火星の女の置き土産、黒焦少女の屍体をお受け取り下さい。 私の肉体は永久にあなたのものですから…ペッペッ…
感想
題名と冒頭文からどんな奇抜な物語なのだろうと想像しましたが、読み進めてみると現実的な話でしたね。 火星さんと呼ばれる少女の復讐譚でした。
周囲から腫物扱いされているけど純真な少女が、模範的な人間とされているけど薄汚い大人に復讐するというのは、とても地獄じみているように見えました。 奇抜な題名と凄惨な事件である一方で、彼女の事情・心情を知ると動機や犯行も理解できなくもありません。
もっとも彼女のやったことを肯定はできませんし、後味の良い話とも思えませんが…