香川県がうどん県になったワケ
香川県はかつて讃岐国と呼ばれていた地域で、讃岐うどんで有名です。 自らを「うどん県」と称し、観光の柱として公式にアピールしています。
日本人と言えば米を愛する民族ですが香川県民は例外です。 年がら年中うどんを食べ、水道の蛇口を捻れば麵つゆが出てくると言われるほどにうどんを愛しています。
なぜこんなにうどんを食べるのかと言えば、香川県のごり押しPRうどん作りにとても適した場所だったからです。
うどん以外謎に包まれた香川県について、少し見てみましょう。
うどんに必要なものが全て揃っていた讃岐国
香川県は四国の右上にある県で、全国で最も面積の小さい県です。 北は瀬戸内海・南は讃岐山脈に面しており、古くは讃岐国(さぬきのくに)と呼ばれていました。
この辺りは「瀬戸内式気候」と呼ばれる特徴を持っています。 四国山地と讃岐山脈に雲が引っ掛かって雨雲が届かないため雨が少なく、逆に日照時間はとても長いです。
特に香川は四国四県の中でも降雨量が最も少なく、日本全体で見ても年間降雨量は下の方です。 四国南端にある高知県と比べると、1/3ぐらいしか雨が降りません。
そのため讃岐国は慢性的な水不足を解消するべく、大量のため池を作って徹底的に水を利用しようとしました。 貯め池を作って作って作りまくって、そこから水を引いて一大穀倉地帯を作り上げたのです。 香川県に現存するため池の数はなんと一万四千を超えます。
そうしてため池から水を引いて米を作るようになった讃岐国は、古代~中世ごろには政治の中心である畿内をしのぐほどの米産地となります。 しかし雨量が少ないことから干ばつが頻繁に発生し、米を安定して生産できる訳ではありませんでした。
そこで注目されたのが小麦です。 小麦はカラッとした場所での栽培が適しており、逆に収穫期に雨が降ったり湿度が高いと穂発芽が発生します。 穂発芽とは収穫前の種子から芽が出てしまう現象で、これが起きると品質が落ち収穫量も減ってしまいます。 なので雨が多く湿度の高い日本は小麦栽培にあまり向いていません。
しかし香川は前述したように雨は少ないため小麦栽培に適しています。 そのことから上質な小麦の産地とされ、江戸時代の百科事典「和漢三才図絵」にも「讃州丸亀の産(の小麦)を上とす」と記述されているほどです。
そして室町後期に米と小麦を作る「二毛作」が普及すると、讃岐地方は米の一大産地であると同時に小麦の一大産地となったのです
他にも瀬戸内海から出汁となるイリコが取れたこと、讃岐三白(讃岐の三大特産品)に数えられるほど「塩」の生産が盛んで加工品として小豆島で醤油が作られていたことなどから、讃岐にはおいしいうどんを作るための土壌があったのです。
そして生まれた讃岐うどん
讃岐国の恵まれた土壌と気候から取れた小麦、小豆島で作られた醤油、入浜式塩田で作られた塩、瀬戸内海で取れたイリコの結晶が讃岐うどんです。
資料の中で初めて讃岐うどんが登場するのは18世紀初頭の「金毘羅祭礼図屏風」の中です。 金毘羅門前町の風景が描かれており、ここには3軒の讃岐うどん店が認められます。
讃岐うどんの始まりは一説によると弘法大師空海が中国からうどんの製法を持ち帰った頃からとも言われています。 ただ江戸時代前は小麦も塩も生産はそれほど盛んでなく、醤油は貴重品でした。 あまり大々的に讃岐うどんが作られていたとは考えにくく、仮に作られていたとしても現代の「讃岐うどん」とは違う何かだと思われます。
明治以降の讃岐うどん作りはますます活発になり、そして大阪万博への出店で全国的に讃岐うどんの名が知れ渡ります。 香川県も観光の中心としてうどんのPRに余念がなく、現在は「うどん県」としてその名を全国に知らしめています。
逆にうどん以外何があるのかは謎に包まれています。 私は兵庫県の南東部育ちで、香川県は海を挟んだ隣にあり距離的にはとても近いです。 しかしこれだけ近くにあるにもかかわらず、香川について他に知っているのは金毘羅山ぐらいです。 まあ瀬戸大橋超えるのが面倒であまり行ったことないのが原因ですが…あの橋を往復するだけで5000円近くかかるから心理的な抵抗があるんですよね。