ロダンの「考える人」、実は「見る人」だった
ロダンの「考える人」は、美術にあまり詳しくない人でも知っているほどの世界的な有名作品です。 世界の色々な美術館に置かれおり、日本では上野の国立西洋美術館にあります。
考える人は題名通り、何かを考えているような恰好をしています。 しかし制作過程を考えると、実は「考える人」ではなく「見る人」の方が正しいかもしれないのです。
考える人は見る人だった
1880年ごろ、ロダンに「美術館を作るから記念の作品を作ってくれ」と依頼が来ました。 そこでロダンが制作に取り掛かったのが「地獄門」です。これはダンテの小説「神曲」の地獄の入口にある門です。
まず神曲に出てくる地獄門について、あらすじをお話します。
地獄門のあらすじ
物語の主人公ダンテは幼馴染のベアトリーチェに恋心を抱いていましたが、ベアトリーチェは別の男性と一緒になってしまいます。 更にベアトリーチェは25歳の若さで亡くなってしまい、ダンテはそれから自堕落な日々を過ごしていました。
ある日ダンテは暗い森に迷い込み、大昔の詩人の魂に出会います。 詩人はベアトリーチェから「ダンテを救って欲しい」と頼まれており、その案内でダンテは「地獄」「煉獄」「天国」を旅することになるのでした。
やがて一行は地獄の入口に辿り着き、門には「この門を通るものは一切の希望を捨てよ」と書かれています。 詩人は地獄では一切の感情を捨てた方がが良いと教えると、ダンテは門を潜り地獄へと旅立ちました。
考える人は地獄門の一部
この門こそがロダンが制作していた「地獄門」です。
色々あって美術館の建設は取りやめになりましたが、地獄門の制作は続けられました。 そして1889年に作品の一環として「詩想を練るダンテ」と呼んでいた作品を「詩人」という名で発表しました。 いつの間にかダンテが詩人になってますね。
詩人は後の地獄門の中にも確認できます。門の上に座っている人がそれです。
この詩人、なんだか見覚えがありますよね。 肩肘を付いて思案に耽っているような様は…そう、この詩人こそが後の「考える人」なのです。
これを地獄門の一部と見た場合、地獄門の様子を伺っているダンテを表すタイトルは「見る人」の方がしっくりきます。 しかし考える人単体で見れば、いかにも思案に耽っている様子は「考える人」の方がふさわしいです。
「詩人」が「考える人」になった経緯ははっきりしていません。 一説には詩人を鋳造していたリュディエが名付けたのではないかと言われています。
考える人と見る人、どちらのタイトルがより相応しいものだと思うでしょうか。 単体で見るとやっぱり考える人の方がしっくりきますかね。
世界中に存在する考える人
「地獄門」や「考える人」と言えば、パリのロダン美術館にあるものが有名です。 それでは上野の美術館にあるものはレプリカなのかと言えば、そうではありません。
これらはロダンが型を作り鋳造職人が素材を流し込んで作られたものです。 地獄の門は世界に6個、考える人は世界に21体存在し、それら全てが本物です。
考える人は地獄門の一部なのに地獄門より多く存在しており、もはやこれ単体で独立した作品と言えるかもしれません。 知名度だって考える人の方が上ですしね。
それを鑑みると作品名も地獄門の一部としての「詩想を練るダンテ」ではなく、独立した作品としての「考える人」の方が相応しいのかもしれませんね。