戦国大名・前田利家は現代基準で考えると凄いロリコン

前田利家は戦国時代に活躍した大名です。 戦国大名の中でも人気が高く、創作の主人公に抜擢されることも多いですね。

そんな前田利家は愛妻家としても有名で、正室のまつはもちろん側室のことも大事にしていたそうで女性からの人気も高いです。

そんな前田利家ですが、ものすごく若い奥さんを貰っていることに定評があります。 もちろん戦国時代の結婚は現代と事情が違いますが、それにしてもロリコン過ぎるのでは…と思えるほどの年の差なのです。

前田利家と若すぎる奥さん「まつ」

前田利家は尾張荒子城主・前田利春の四男として生まれました。 まつとはいとこ関係にあり、まつが4歳の頃に父親が亡くなったのをきっかけに尾張荒子城へと引き取られ、二人は一緒に暮らすようになりました。

そして利家21歳・まつ11歳の頃に二人は恋愛結婚によって結ばれました。 戦国武将が恋愛結婚とは珍しいように思えますが、これは当時の利家の身分が低かったのが一因と思われます。 家督を継げない四男であるからこそ許された面もあったのでしょう。

しかし21歳と11歳が恋愛結婚とは、割ととんでもないことのように思います。 現代風に言うなら大学生と小学生が結婚したようなもので、交際すら厳しい年齢差でましてや結婚なんて…という印象です。

それから利家は武功によって異例の大出世を遂げ、病弱な兄に代わって前田家の家督を継ぎ、加賀藩の初代藩主となります。 そうして出世したからかなのか、30歳頃から側室を迎えるようになります。

最初の側室はまつの侍女・寿福院で、美しさを見初められて側室に迎えられました。 この時まつは利家や寿福院をどう思ったのか気になりますね。

それからも利家は側室を迎え、少なくとも6人の側室がいたと考えられています。 利家は豊臣五大老にまで大出世したので政略結婚もあったのでしょうが、寿福院のような話もあったのかもしれません。

そしてネットでは側室の6名も総じて幼い年齢であると囁かれています。 ただ少なくとも寿福院は結婚時に20を超えていたはずで、噂の年齢の出所はよく分かりませんでした。 さてどうでしょうね。

前田利家の奥さんの早すぎる出産年齢

利家とまつは子沢山で、2男9女の11人の子をもうけています。 当時は子の死亡率が高いことを見越して多くの子を産む傾向にありましたが、それを鑑みてもかなりの多産です。

そんなまつはなんと11歳で初産しています。 嫁いだその年に出産するのは不自然なことではありませんが、それにしても早すぎますよね。 ちなみにまつが末っ子を産んだのは32歳の時です。

現代目線で考えるととんでもない犯罪臭さですが、これも当時は当たり前…という訳ではありません。 まつの出産年齢の早さは抜きんでています。

日本には「鬼も十八番茶も出花」「鬼も十七茨も花」「鬼も十七山茶も煮端」ということわざがあります。 どれも「鬼のような女性でも年頃になれば美しくなる」という意味です。

昔は年齢を数え歳で算出していたので、これに1~2歳マイナスしたものが現代の年齢になります。 なので現代換算では「女性の年頃は16~18歳」と考えていたと言えるでしょう。

数え年では生まれたら1歳、元日(1/1)を迎えるごとにプラス1歳して年齢を数えます。

大晦日に生まれると翌日には2歳になってしまうのです。

この時代は18~20歳頃に結婚するのが一般的で、10代での出産も珍しくありませんでした。 むしろ10代に子を産まないのと体に悪影響があるとまで考えられていた節もあります。

しかしその当時の基準から見ても、どう考えても11歳や13歳での出産は早すぎます。 同時代の大名をいろいろ調べてみましたが、まつの出産年齢の早さは抜けています。

また生物学的に見て10代前半での出産は母子ともに非常にリスクの高い行為であり、これが広く行われていたとは考えにくいです。

つまり前田利家は現代基準で考えると凄いロリコンですが、当時の基準で考えても十分ロリコンだったのではないでしょうか。 なんだか利家とまつを見る目が変わってしまいそうな結論になってしまいましたね。

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