京都で左右が一部逆転している理由は「天皇」と「伝統」
京都府には右京区と左京区があります。 この左右は東西と逆になっており、左にあるのが右京区で右にあるのが左京区です。
このように京都では左右が一般的な感覚と逆になっているものがあります。 その主な理由は「天皇」「伝統」のどちらかによるものです。
天皇から見てどちらか
時は7世紀頃、日本は中国の統一王朝である「隋」に使節を派遣し、その進んだ文化を取り入れようとしました。 遣隋使は様々な文化を持ち帰りましたが、その中に「皇帝は南向きで政務を執り行う」というものがありました。
日本もこれに倣って天皇は南向きで政務を行うようになりました。 京都ではこの「南向きの天皇から見て左右どちらか」で左右を命名されたものがあるのです。
右京区と左京区
右京区と左京区は平安京の右京・左京に倣って名付けられたものです。 平安京とは平安時代から長らく日本の都だった場所で、現代においても京都の中心地となっています。
平安京は天皇の住居である大内裏を北辺中央に据え、碁盤の目のように整然とした街並みが作られました。 そんな平安京の北辺中央にある大内裏から、南辺中央にある羅生門を結ぶ道を朱雀大路と言います。
朱雀大路は平安京を左右に分割するように走り、その西側を「右京」、東側を「左京」と呼んでいました。 これは大内裏にいる南向きの天皇から見て左右どちらかで名付けられています。
現代の右京区と左京区はこれに倣って名付けられたものです。 ただし右京区は平安京の右京にあたる場所にありますが、左京区は平安京の外にあるため由来の左京とはあまり関係ありません。
左近の桜と右近の橘
紫宸殿の庭に植えられている桜と橘はそれぞれ「左近の桜」「右近の橘」と呼ばれています。 これも紫宸殿に向かって左に右近の橘、右に左近の桜があります。
理屈は右京区・左京区と同じで、天皇が紫宸殿から南向きに見た時にどちら側かで名付けられています。
写真は左近の桜しか見えていませんが、向かって右側で紫宸殿内から見れば左ですね。
日本の伝統で左右が逆のもの
元々日本では右よりも左の方が格上とされていました。 例えば左大臣と右大臣なら左大臣の方が上です。
しかし明治時代になると右を格上とする西洋のルールが入ってきました。 そして大正天皇が即位する際に西洋の流儀に倣って皇后の右に立ったことを契機に、日本は徐々に西洋ルールへと傾いてきました。
今では西洋ルールが一般的になりましたが、しかし京都においては日本古来のルールがそのまま引き継がれている場合があります。
男雛と女雛
一般的なひな人形は、向かって左に男雛、向かって右に女雛を飾ります。 しかし京都は逆で、向かって左に女雛、右に男雛を飾ります。
旧来の作法にのっとると正しいのは京都式ですが、伝統は時代に応じて変化するものです。 京都を由緒正しいと見るべきか頑固すぎると見るべきかは、判断が分かれるところでしょう。
結婚式
男女が並ぶ際には、一般的に男性が女性を守れるよう男性の右手を空けるように並びます。 結婚式の並びにおいても同じで、向かって左が男性、向かって右が女性です。
しかし京都においては日本古来の伝統に則り、向かって右に男性、向かって左に女性と並ぶことがあります。 京都の結婚式はこの並びで執り行われることもあるので注意しましょう。
京都で左右が逆転してそうでしていないもの
上記のことから京都の左右は世間と逆転している印象を受けますが、何でもかんでも逆になっている訳ではありません。 私が長らく勘違いしていたのが五山送り火の大文字です。
五山送り火の左大文字と右大文字
日本には「お盆」と呼ばれる期間があります。 8月13日に祖先の霊がこの世に帰ってきて、3日間を我々と共に過ごし、8月16日に帰っていくものです。
13日には霊が迷わないよう「迎え火」を焚いて家を知らせ、16日には霊を再び送り出すため「送り火」を焚きます。
京都ではお盆の終わる8月16日の夜、送り火として「五山送り火」が執り行われます。 京都市内にある五つの山に「大」の文字を象った火を焚き、大々的に祖先の霊を送り出すイベントです。
この中に「左大文字」と「右大文字」と呼ばれるものがあります。 これも東にあるのが左で西にあるのが右…ではありません。これは素直に西が左大文字、東が右大文字です。
庶民が京都御所に向かってどちらに見えるかで名前が決まったそうで、素直に左右が一致したんですね。 ああ、ややこしい。
そんな訳で京都では左右が逆転したりしなかったりしているのです。 京都って難しいですね。