「心頭滅却すれば火もまた涼し」と詠んで焼死した僧侶がいる

座禅を組んで瞑想するお坊さん

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があります。 私は夏の部活で顧問によく言われていましたが、言われる度に「いくら心頭滅却しても暑いもんは暑いんだよ!」と心の中で反論していたものです。

気の持ちようで苦痛を紛らわしたところで、体へのダメージが無くなる訳ではありません。 戦国時代の僧侶・快川紹喜は「心頭滅却すれば火もまた涼し」と辞世を詠んで焼死しています。

心頭滅却すれば火もまた涼しとは

暑くて手で自分を仰ぐ男性

「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、気の持ちようで苦しさが紛れるという意味の言葉です。 人に我慢を強いる時やしごく時に使わる言葉ですね。

これは唐の詩人・杜荀鶴の詩「夏日題悟空上人院(夏の日の悟空上人の院)」が元ネタです。 ※悟空と言えば西遊記の孫悟空が思い浮かびますが無関係です

夏日題悟空上人院

三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水
滅得心中火自涼

夏の暑い盛りに、悟空上人は門を閉ざして袈裟を着ている
廊下には日差しを遮る松も竹もない
座禅に山や川は必ずしも必要ではない
気の持ちようで火さえも涼しく感じられるのだ

この詩は中国の仏教書「碧巌録」に収録され、仏教と共に輸出されていきました。 日本にこの言葉が広まったのもその流れと思われます。

快川紹喜の辞世「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」

恵林寺の三門

時は流れて戦国時代の日本、甲斐の恵林寺に快川紹喜という住職がいました。 紹喜は美濃の戦国武将・武田氏と深い関係にあり、武田信玄の葬式において大導師を務めたほどの人物です。

やがて武田家は織田信長の侵攻により武運拙く滅亡してしまいますが、その際に紹喜は逃げてきた武田氏の遺臣を恵林寺に匿います。織田から武田の遺臣を引き渡すよう要請が来ても、紹喜はそれを拒否しました。

それに怒った織田軍は恵林寺を焼き討ちにしてしまいます。 燃え盛る門の上にて、紹喜は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と辞世を詠み、焼け死んでしまいました。

寺が燃え僧侶たちが焼け死んでいく中で、紹喜はどのような気持ちでこの詩を詠んだのでしょう。 僧侶たちの今際の苦痛を和らげようとしたのか、はたまた仏教僧としての矜持を見せようとしたのでしょうか。

紹喜の心のうちは定かではありませんが、ひとつ確実に言えることがあります。 心頭滅却して気は紛れても、体へのダメージはどうしようもないということです。

どうしようもない時だけ心頭滅却しよう

気の持ちようで苦痛は紛れるかもしれませんが、体がそれに付いてきてくれる訳ではありません。 暑い中で心頭滅却して我慢していると、脱水症で頭が痛くなったりぶっ倒れたりしてしまいます。

我慢しなければいけない時やどうしようもない時には心頭滅却するのも一つの手です。 しかし我慢しなくても良い時には、心頭滅却に頼らなくても済むように工夫しましょう。

ごちゃごちゃ言ってくる人には「快川紹喜のような徳の高いお方でも焼け死んでしまわれたのに、浅学非才の身にどうしてそれができましょうか」とでも言っておけば良いんじゃないでしょうか。

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