スーツの袖のボタンは袖で鼻水を拭わせないためのもの
スーツの袖にはボタン付いていますが、何のために付いてるかはご存知でしょうか。 他のスペアのようにも思えますが、袖からボタンを取ると跡が無様ですし、そもそも前のボタンとは大きさが違います。
袖にボタンがある理由はよく分かってはいませんが説はあります。 有力説である「スーツの袖にボタンを付けたのはナポレオン説」と「スーツの袖のボタンはドクタースタイルのなごり説」をご紹介したいと思います。
スーツの袖にボタンを付けたのはナポレオン説
時は1812年6月23日、フランス皇帝ナポレオンは60万人もの軍を率いてロシアと戦争を始めました。 ナポレオンは冬までに決着を付ける方針でしたが、逆にロシア側は後退を続けてフランス軍を限界まで引きずり込む方針でした。
小競り合いを繰り返しながらロシア軍は防衛線を後方へと下げていきました。 9月にモスクワ川沿いで大規模な戦闘が起きるも、やがてロシアが撤退して終息します。
そうしているうちに夏は終わり、フランス軍兵士が寒さを覚える時期になりました。 ロシアの冬は尋常ではない寒さであり、風邪をひいた兵士は軍服の袖で鼻水を拭うようになりました。
おかげで袖はカピカピになり、兵士が風邪をひいていることがロシア軍にバレバレです。 みっともないから止めるように言っても、兵士も鼻水を放っておく訳にもいかないので止まりません。
そこでナポレオンは軍服の袖に金属のボタンを付けたそうです。 袖で鼻水を拭くにはボタンが邪魔になり、そうして兵士たちが袖で鼻水を拭くことはなくなったそうです。
どことなく無茶のある説に見えるのは私だけでしょうか?
ちなみにナポレオン率いるフランス軍の侵攻は寒さと兵糧不足からやがて限界を迎え、反転攻勢に出たロシアに大敗北を喫します。 この敗戦は無敵の将軍だったナポレオンの転換期となりましたが、それはまた別のお話…
スーツの袖のボタンはドクタースタイルのなごり説
ひと昔前はスーツは全てオーダーメイドで、その頃は袖のボタンを外して袖口を広げ、まくり上げられるように作られていました。 いわゆる「本切羽」や「ドクタースタイル」と呼ばれているものです。
当時はスーツを脱ぐのは失礼なことで、基本的に外では脱がない前提でした。 しかしお医者さんが治療する際に袖が邪魔になるため、腕まくりできるように袖にボタンが付けられました。 だから「ドクタースタイル」という訳ですね。
スーツが大量生産の既製品販売が主流になってからは、大勢の人がスーツを着るようになります。 多くの人は袖をまくる必要がないため、やがて袖の開閉部分が省略されるようになりました。 しかしその名残として、袖のボタンが残っているという説です。
今でも本切羽のスーツはありますし、有料オプションで変えられる場合もあります。 本切羽のスーツに身を包めば「あいつのスーツは何か違うぞ」と思わせられるかもしれません。 そんな時に袖のボタンのウンチクを披露すれば、なんとなく優越感に浸れることでしょう。
ナポレオン説とドクタースタイル説、どちらが正しいかは別の理由があるのかは定かではありません。 個人的にはドクタースタイル説の方に説得力を感じましたが、皆さんはどう思ったでしょうか。