九尾の狐が変化した、近付く者を殺す「殺生石」の伝説
栃木県の那須の火山地帯には、毒を出して近付く者を殺すと言われる「殺生石」があります。 この殺生石は伝説によると、大妖怪・九尾の狐が討伐された際に変化し、後に3つに割られたものの1つとされています。
この伝説はあくまでフィクションですが、モデルと思わしき人がいたり、当時の人々の考えが伺えたりで、中々に面白いです。 そんな殺生石にまつわる伝説をお話したいと思います。
殺生石と九尾の狐・玉藻前の伝説
時は平安時代の終わりごろ、玉藻前(たまものまえ)という若く美しく博識な娘がおりました。 宮女として仕えていましたが、その美貌を鳥羽上皇に見初められて寵姫となります。
しかしそれからほどなく鳥羽上皇は原因不明の病となって、日に日に衰弱していきました。 医者が診ても原因は分かりませんでしたが、陰陽師・安倍泰成は玉藻前に化けている妖怪の仕業であると見破ります。
玉藻前の正体は数千年を生きる恐ろしい「九尾の狐」でした。 古くは中国の殷やインドのマガダ国などにも現れ、王をたぶらかして暴虐の限りを尽くしました。 それが今度は少女に化けて日本にやってきて鳥羽上皇に取り入ったのです。
正体を見破られた九尾は那須野へと逃げていきましたが、朝廷は九尾を討伐すべく軍隊を送ります。 九尾は妖術で応戦し、討伐軍の多くが犠牲となりました。
しかし討伐軍の必死の攻勢は九尾をジワジワと追い詰め、遂に切り伏せることに成功します。 しかし九尾は死して巨大な石に変化し、周囲に毒を振りまいて近付く物の命を奪うようになりました。
討伐軍はその石をどうにもできず、石はそれから近づく人や動物たちの命を奪い続けます。 人々は恐れを込めてこの石を「殺生石」と呼ぶようになりました。
しかし室町時代、話を聞いた源翁禅師の法力によって、殺生石は3つに割られて2つは別の場所へと飛んでいきました。 そして残る1つが今も那須野に鎮座する殺生石なのです。
殺生石の実際の話
玉藻前伝説の殺生石は那須岳の火山ガス地帯にあります。 那須の火山ガスの成分は硫化水素であり、硫黄の臭いが充満しています。 高濃度のガスを吸い込めば命はないため、ガス量が多い時には立ち入り禁止となるほどです。
つまり殺生石に近付くと死ぬという話は本当ですが、その原因は殺生石それ自体ではなく、殺生石の辺りにある噴気孔から出る火山ガスです。 しかし当時の人々はその理屈がよく理解できなかったため、殺生石から毒が出ていると考えたと思われます。
そんな殺生石は妖怪が変化したものに違いないとか、その妖怪は大陸から来た数千年を生きる大妖怪だとか、鳥羽上皇の寵姫の正体がそれだったとか、色々な尾ひれが付いた末に玉藻前伝説になったのではないかという気がします。
松尾芭蕉もこの地を訪れ「石の香や 夏草赤く 露あつし(殺生石の香で 夏草は赤く枯れ 露も熱い)」と句を詠み、 奥の細道には「殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気は未だ無くならず、蜂や蝶が砂の色が見えないほどに重なって死んでいる。」と記しています。
個人的には火山ガス地帯に大量の昆虫がいて、地面が見えないほどの大量の死骸となっていたという話はやや眉唾ですけどね。 芭蕉が話を盛ったか幻覚でも見たかした気がしますが、どうだったのでしょうか。