甲子園の土には中国福建省の砂を使っている

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高校球児が目指す憧れの舞台「甲子園」。 敗者にはドラマを、勝者には栄光を与えてくれます。

甲子園で負けたチームは土を持ち帰って記念にするのが通例になりました。 でもその土、実は半分は日本の他の地域のもので半分は中国のものなんですよ。

甲子園は色々な地域から土を取り寄せている

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甲子園は兵庫県西宮市にある球場で、正式には「阪神甲子園球場」と言います。 大阪にあると勘違いしている人が多いですが、甲子園は実は兵庫県の建造物です。 県境から5kmぐらいなので、ほとんど大阪ではありますけどね。

そんな甲子園の土は黒土と砂をブレンドして作られています。 春は雨が多いから砂を多くする、夏はボールを見やすくするため黒土を多くするなど、配合する割合は天候や季節によって変わります。

黒土の産地は決まっておらず、日本の様々な場所から取り寄せられています。 岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山などなどです。

そして白土は中国福建省から取り寄せられています。 昔は甲子園浜及の砂を使っていたようですが足りなくなったのでしょうか。 今は日本の砂ですらないんですね。

甲子園の土を持って帰ったら黒土は地元産だったなんてこともあるかもしれません。 まあ球児の血と汗が染みこんだ甲子園の土だから価値が出るので、産地がどこかなんて野暮な突っ込みだとは思いますけどね。

持ち帰った甲子園の土の用途

持ち帰った甲子園の土をどうするかは学校や選手によって様々なようです。

よくあるのはグランドに撒かれたり、小瓶に入れて記念品にしたり、首里高校のエピソードに倣って焼き物にしたりと色々聞きます。 中にはネットオークションで売りに出されているものもありますね。

甲子園の土を持って帰るようになった経緯

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甲子園の土なんて持って帰ってどうすんだ、なぜ持って帰るんだと思う人もいるかもしれません。 野球以外でこんな文化を持っているスポーツはありませんからね。

甲子園の土を持って帰った話で一番古いのは、1937年の熊本代表・川上選手と言われています。 しかし川上選手は「最初に持ち帰ったのは自分ではない」と話しているので、始まりはもっと遡りそうです。

甲子園の土を持って帰る文化はそれなりに定着していたようですが、今のように試合終了後に選手たちが一様に砂を集めて必ず持ち帰るほどではありませんでした。 球児たちが甲子園の土を一様に持ち帰るようになったのは沖縄のエピソードからです。

第二次世界大戦終戦後、サンフランシスコ講和条約により沖縄はアメリカの統治下に置かれました。 一定の自治権はあり潜在的に日本ではありましたが、ほとんどアメリカだったのです。 日本と沖縄を移動する際にはパスポート(沖縄県民の場合は渡航証明書)も必要でした。

そんな沖縄県は1958年に初めて甲子園に参加することとなり、首里高校が沖縄代表として出場しました。 首里高校は奮戦むなしく1回戦で強豪・敦賀に敗れてしまいます。 しかし日本に来て甲子園で戦った証として、甲子園の土をビニールに入れて持ち帰りました。

そして那覇港へ戻っていった面々でしたが、沖縄を取り仕切るアメリカの法律によって甲子園の土は外国の土とみなされ、植物検疫法によって捨てられてしまいます。 これは沖縄が日本ではないことを強く認識させられる出来事でした。

その出来事は日本で大きな反響を呼び、甲子園の土を焼物にして沖縄に送る人もいました。 これが沖縄返還運動の盛り上がりに繋がって、1972年についに沖縄県は日本に返還されたのです。

この首里高校の出来事こそが甲子園の土を持ち帰る文化を広めたと言えるでしょう。 そんな沖縄県は1999年に初優勝を果たし、今では高校野球の強豪として名を連ねています。沖縄尚学とか興南とか強いですよね。

最近はバスケの方が流行ってるなんて話も聞きますが…

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