不快な表現でも自由に表現されるべき「表現の自由」
この頃「表現の自由が云々」という意見の応酬が私のSNSを駆け巡っています。 いくつかのイベントでひと悶着あったみたいで、それで色々言ってる人がいるみたいですね。
表現の自由とは国民が好き勝手な表現をする権利を国が保障するもので、民主主義の根幹をなす重要な権利です。 これを機に一度考えみてはいかがでしょうか。
表現の自由とは
まずは日本国憲法にある「表現の自由」の条文を確認してみましょう。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
よく声高に叫ばれている「表現の自由」とはたったこれだけの話です。 国が「検閲しないから何でも好きなように表現してよ」と保障してくれている訳です。
表現とは
表現とは自分の内面の「感情・思想・意志」などを「言語・文章・作品・態度」によって外部へ伝える行為と言えます。 一例を挙げると、発言、評論、文章、小説、漫画、映画、演劇、ダンス、芸術などなど、キリがないほどに多種多様な表現が存在します。
表現は時に否定的なものにもなります。 あなたは映画を見たもののあまり面白い内容ではなく、SNSに「映画はつまらなかった」と感想を書きました。 その感想を見た監督は「あの映画はとても面白い、こいつは映画を分かってない奴だ」とあなたの感想を批判しました。
あなたと監督の意見に食い違いは出ましたが、映画も、映画の感想も、映画の感想への反論もどれも立派な表現です。
そして表現を検閲されることなく自由に発信できる権利が「表現の自由」です。
不快な表現を許容しなければならない
世の中には好ましいと思う表現もあれば、不快に思う表現もあります。 気に入らない表現を批判するのは表現の自由のうちですが、表現自体を封殺することがあってはいけません。
例えば嫌いな芸能人のポスターが街中に貼られていたとします。 こんな時に「あいつ嫌い」とか「あのポスターみると腹が立つ」というのは表現の自由の範疇です。
しかし「不快だからポスターを貼るな」と表現自体を否定するのは、表現の自由にもとる行為に他なりません。 大抵の表現には少なからずそれを不快に感じる人がいるので、「俺が嫌だから止めろ」がまかり通れば表現の自由は死にます。
自分が不快な表現であっても、表現すること自体は認めるのが表現の自由です。
無制限に認められる訳ではない
表現の自由が権利として認められていても、無制限に何でもかんでも表現して問題ない訳ではありません。
例えば誹謗中傷も表現の一種ですが、しかし訴訟されて裁判所から高額な賠償金の支払いを命じられることもあります。 これは個人が生活する中で保護される権利「人格権」と「表現の自由」がぶつかり、人格権が勝った結果と言えます。
表現の自由は権利として認められていますが、時に他の権利とぶつかることもあります。 どちらの権利が優先されるべきかは裁判で争うことになり、場合によっては多額の賠償金を支払うハメになったり、警察に逮捕されることもあり得ます。
そういった意味で表現の自由には「公共の福祉に反しない限りは」という制限があると言えます。 無制限に振りかざして良い権利でないことは肝に銘じておきましょう。
ただし一線を超えない限りは、可能な限り自由に表現ができるべきでもあります。 この一線の見極めは中々難しいものであり、だからこそ頻繁に騒動が起きるんですけどね。
表現の自由は民主主義の根幹をなす権利
表現の自由は民主主義において超重要な根幹をなす権利とされています。 表現の自由がなかったらどうなるか、少し考えてみましょう。
もし表現の自由がなかったら
表現の自由がなければ、国は情報を検閲するし、自由な表現を保障しないことになります。 そうなったら政府への批判や反対意見なんて、全部検閲して不利な表現が発信できないようにしてしまいますよね。
政府が間違った政策を行っても、自分たちばかりが得する法律を作っても、腐敗や汚職に塗れても、誰も意見できません。
そこまではしなかったとしても、政府に都合の悪い思想やデータを排除し、政府に都合の良い情報だけを与えられた国民はどう考えるでしょうか?
そんな状況では国民は政府に都合の良い思想や知識を持つよう誘導され、誤った情報を元に誤った判断を下してしまいます。
表現の自由の重要性
民主主義国家の選択は国民の知識や思想に依存しています。 より確かな判断を下すには、可能な限り検閲を受けない情報を幅広く受け取れる環境が必要なのです。 だからこそ表現の自由は重要なんですね。
そしてこれは国に限った話ではなく、組織や個人にも同じことが言えます。 だから皆さんも何か不快な表現を見かけても「不快なものを見せるな、今すぐ止めろ」とは言わずに、「不快な表現だから批判も反論もするが、表現の自由は尊重する」と考えてみてください。
ただし一線を越えた表現に対しては、警察に通報するなり裁判所に訴えるなりしましょう。