「太陰暦」「太陰太陽暦」「太陽暦」の違いと変遷
現代の暦では1年は12か月365日です。 各月にある日数は1・3・5・7・8・10・12月は31日、4・6・9・11月は30日、2月は28日と法則性がありません。
人類が最初に採用していた太陰暦や太陰太陽暦では日付が月の満ち欠けと共にあり大よそ一定ですが、太陽暦となってこのように規則性のないものに変わりました。 なぜこうなったのかと言えば、まあ大体ローマ皇帝アウグストゥスのせいです。
暦の変遷を見つつ、アウグストゥスの所業を見てみましょう。
「太陰暦」「太陰太陽暦」「太陽暦」
まずは今まで人類が採用してきた暦についてお話ししておきます。 地域にもよりますが、世界的には大よそ「太陰暦」→「太陰太陽暦」→「太陽暦」の順で変遷しています。
太陰暦
紀元前の頃、人々は月の満ち欠けから暦を判断していました。 月の満ち欠けが1周して1か月・12回の満ち欠けを経て1年とする、いわゆる「太陰暦」です。 太陰とは月のことを指し、太陰暦のことを「月読み」とも言います。
太陰暦では新月の日を1日、15日ないし16日に満月、月の満ち欠けは約29.5日周期なので29日ないし30日にひと月が終わります。 これが12回で1年は354日または355日なので日付と季節がずれていきますが、太陰暦では特にこのずれを解消しません。 なので同じ月でも年によって冬だったり夏だったりして、およそ33年で元に戻ります。また月の周期と日付のズレを解消するため、30年に11回の割合で1日加えます。
現代の感覚からすると「こんなカレンダーが何の役に立つんだ」と思うかもしれません。 しかし農業をしていなかったこの時代は、季節よりも月の運行を知ることの方が重要だったのです。
例えば漁業は月の満ち欠けによって潮の満ち引きが変わるので、日付ごとに狩場を変えていけば効率的に作業できそうですね。 また明かりがない時代は夜中真っ暗なので、毎月15日の満月をイベントの日とすると覚えやすいですね。 ちなみに満月の日を「十五夜」と言いますが、これは太陰暦で15日が満月だったことに由来します。(※16日のこともあります)
現代人の感覚からすると何の役に立っていたんだか分かりにくい太陰暦ですが、定着して広く使われるだけの理由はあったのです。
太陰太陽暦
太陰太陽暦は1か月を「太陰(月)」から、1年を「太陽(日)」から作った暦です。 時間や暦のことを「月日」なんて表現しますが、これはつまり月と太陽ってことなんですね。
人類に農耕が定着すると、季節ごとに種を植え・育て・収穫する農耕社会が基本となってきました。 季節とはすなわち太陽の運行ですが、太陰暦で見ているのは月の動きだけなので暦が季節と連動していません。 そこで考案されたのが太陰暦に日を加えて季節と日付がずれないように帳尻を合わせる「太陽太陰暦」です。
太陰太陽暦は新月の日をその月の1日とし、かつ日付と季節がずれないように考案されました。 太陰暦が2年で1か月ずれるのであれば、3年ごとに13か月の年を設定すれば大体帳尻は合います。 それでもずれを感じたなら適当に日付を足せばいいだろうと、当初はこんな感じで運用されていました。
後に19周年は235回の月の満ち欠けと大体同じである「メトン周期」が発見され、そちらで日付の調整がされるようになりました。 なおメトン周期でも219年で1日ずれるので、後に更に正確なカリポス周期やヒッパルコス周期なども採用されています。
太陽暦
太陽暦とは地球が太陽の周りを回る周期を基に作られた暦です。 太陰暦や太陰太陽暦が日付と月の満ち欠けを対応させていたのに対し、太陽暦では月の運行を考慮しないのが特徴です。
太陽暦では地球が太陽の周りをまわる周期が約365日であることから、365日を1年としています。 ただし実際の周期は365日よりも若干長いので、定期的に帳尻を合わせるための「うるう年」や「うるう秒」などが設定されます。
太陽暦が広く使われだしたのは紀元前45年にローマの執政官ユリウスによって実施された「ユリウス暦」です。 ユリウス暦は平年は1年365日で4年に1度うるう年で366日としたものです。
しかしユリウス暦は実態よりも時間が長く、約128年で1日ずれてしまいます。 1280年も経つとずれは10日となり、時代が下るにつれて無視できないレベルとなりました。 そこで1582年にローマ教皇グレゴリオが「グレゴリオ暦」を実施しました。これは現代において多くの世界で採用されている暦です。
ユリウス暦の日付追加が400年で100日なのに対し、グレゴリオ暦では400年に97日を追加することで季節を調整しています。 ユリウス暦では4年に1度がうるう年でしたが、グレゴリオ暦ではこのうち100で割れて400で割れない年についてはうるう年としない事によって余剰を消したのです。
MEMO
2001年~2400年までの間においては、2100年、2200年、2300年の扱いに差があります。 これらはユリウス暦においてはうるう年ですが、グレゴリオ暦においてはうるう年ではありません。
なおグレゴリオ暦も完全に正確ではなく、また太陽の周期も毎年完全に一定という訳ではありません。 制定された1582年と現在を比較すると、一説には同じ日付でも約3時間ほどのズレがあるのではと言われています。
まあそれでも精度は相当のもので、1日ずれるのが3000年後とかそんなレベルなのです。 ズレの解消を考えるのはずっと先の世代の話となるでしょう。
太陽暦の月の日数が不規則なのは大体アウグストゥスのせい
太陰暦や太陰太陽暦では1か月は29日か30日でしたが、太陽暦もこれをベースに作られています。 1年に不足する11日をどこかに入れれば太陽暦の完成という訳です。
ユリウスはユリウス暦において奇数月を31日、偶数月を30日と定めました。 しかしこれでは1日余るので、どこかから1日取る必要があります。
そこで当時のローマの年末である2月を29日にすることによって調整しました。 この頃は種まきの始まる3月が1年の始まりである年始とされていたのです。
これで基本的なユリウス暦が完成ですが、現代の暦と微妙に違うのは気付いたでしょうか。 ユリウス暦においては8月は30日で2月は29日ですが、現代では8月は31日で2月は28日ですし、9月以降の日数も合いません。
これはその後ローマ皇帝となったアウグストゥスに起因します。 ユリウスはユリウス暦の記念に自身の誕生月である7月に名前「ユリウス」を冠したのですが、アウグストゥスもこれに倣って8月を「アウグストゥス」と命名することにしました。 julyの由来はユリウス、Augustの由来はアウグストゥスなのです。
当時ローマでは奇数がラッキーナンバーと考えられており、アウグストゥスは自分の名前が冠される8月はラッキーナンバーの奇数にしたいと考え、8月を31日にしてしまいます。 代わりに年末の2月を28日にすることで1年を調整しました。
しかしこのままでは7月・8月・9月が連続で31日となってしまいます。 何だか並びが悪い気がするので、9月以降は奇数月を30日に、偶数月を31日に逆転させました。
纏めるとまず基本的に1~7月までは奇数月が31日で偶数月が30日、9~12月は奇数月が30日で偶数月が31日です。 そして8月はアウグストゥスによって31日に、2月は帳尻を合わせるために28日ないし29日となっています。
そうして現在に至るのですが、要はアウグストゥスが余計なことをしたせいで何月に何日あるのか覚えにくくなったという訳です。 まあ変更した経緯を知っていれば記憶しやすい内容だとは思いますが…
西向く侍、小の月
月の日数の覚え方に「西向く侍、小の月」という語呂合わせがあります。 日本人ならこれで覚えてしまうのが一番早いでしょう。
「西向く」はそのまま2・4・6・9、「侍」は11を漢字「十一」にして縦に並べると「士(さむらい)」のように見えることにちなんでいます。 後はこれらを順に読んでニシムクサムライ(2・4・6・9・11月)は日数が少ない小の月という訳です。 小の月のうち2月だけは特別で基本28日・うるう年だけ29日となり、残りの小の月は30日です。そしてここにない1・3・5・7・8・10・12月は全て31日です。
これで何月が何日あるかはばっちりですね。