水の都ヴェネチアは地盤沈下し続けている

水の都ヴェネチアの街並み

イタリアの都市ヴェネチアは水の都として有名です。 運河が都を縦横に走る美しい街並みを持ち、沢山の人々が訪れる観光地になっています。

そのヴェネチア、実は年々沈み続けています。 このままでは近い将来、なくなってしまう恐れまであるのです。

ヴェネチアの歴史

ヴェネチア湾から見るヴェネチア

ヴェネチアはヴェネチア湾の干潟(湿地帯)に作られた都市です。 なぜそんな場所にわざわざ都市を作ったのかというと、5世紀のゲルマン人侵略までさかのぼります。

イタリア半島に侵入してきたゲルマン人から逃げるため、北イタリアの住民がヴェネチア本島の北方に位置するトルッチェロ島に避難してきました。足場が悪く不便ではありますが、それはゲルマン人にとっても同じことでした。 わざわざ攻めたい場所でなかったのか存外安全で、避難民がそのまま住み着いたのが始まりです。

干潟は侵入者からの防衛に利用されていました。 普段は船が通れる道を水面から出る杭で知らせ、有事の際には杭を抜いてどこを通れるのか分からなくしました。 そんな事情から干拓は外敵への備えがなくなることに繋がるため禁止されていました。

干潟の防御効果をもあって何度も外敵を退けてきましたが、9世紀のフランク王国侵攻に押されてさらに奥地であるヴェネチア本島に避難することになりました。 ここが後に水の都ヴェネチアとなります。

その後東ローマ帝国とフランク王国の条約によりヴェネチアは東ローマ帝国の属国となりました。 地中海貿易によって発展したヴェネチアの全盛期は、地中海貿易の拠点として各地の富が集まり、ヨーロッパ屈指の海軍力を擁するほどでした。

しかし15世紀になるとオスマン帝国などに領土を削られながら縮小していきます。 また大航海時代を迎えて貿易の中心が地中海からアメリカやインドへ移ったこともあって、貿易都市としての地位も揺らいでいきました。

さらに大砲の発明により、干潟は敵の侵攻を妨げる防壁ではなく、味方の棺桶になってしまいます。 そしてヴェネチアは1797年にナポレオンのフランス軍に敗れ、紆余曲折を経てイタリアに編入されることとなりました。

話が長くなりました。ヴェネチアが干潟に作られたのは、干潟に防御効果があったからです。 元々水っぽい場所であるため、水の都ヴェネチアとなった訳ですね。

ヴェネチアは年々水没している

水に沈んでしまいそうなヴェネチア

ヴェネチアの地下にあるプレートは毎年数mmずつ沈下しており、10年で数cm沈む計算になります。 ヴェネチアは干潟に建てられた都市で海抜が100cm程度しかありません。 数百年経てば海抜0cmになってしまう計算となるため事態はかなり深刻です。

海抜1mの現在ですら高潮をまともに被っており、年間40回は冠水するので建物の老朽化も早いです。 今でさえそんな状況なので、プレートが沈むのに伴って被害が拡大していくことが予測されています。 こんな状態ですから人口流出も深刻です。

イタリア政府も頑張って対策しているようですが… 今すぐにという訳ではないにしろ、数百年後にはヴェネチアが完全に水没してしまう日がくるかもしれませんね。 美しい水の都がなくなってしまうかもしれないというのは、なんとも寂しいものです。

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