仏教発祥の地インドには仏教徒がほとんどいない

スピリチュアルな瞑想

仏教はゴータマ・シッダールタによって創始され、中国を通して日本に伝来した宗教です。 日本は仏教国であり、7割程度が仏教徒であると言われています。

それでは発祥の地インドにはどれだけ仏教徒がいるのでしょうか? …実はほとんどいないんですよね。

インド仏教の歴史

石の仏像

仏教の誕生

紀元前4~5世紀頃、現在のインド辺りにある国の王子として生まれたゴータマ・シッダールタは29歳で出家し、やがて悟りを開いて「ブッダ」となり仏教を創始します。 その教えは経典にまとめられ、釈迦の没後にも仏教は広がり続けました。

ブッダとシャカの違い

「ブッダ」は仏教において悟りを開いた者を指す称号です。 ブッダがゴータマ・シッダールタただ一人なのか複数いるのかは、宗派によって考え方が違います。

「シャカ」はゴータマ・シッダールタ個人を指す固有名詞です。 出身部族であるシャカ族の聖人の意で「シャカ」と呼ばれていたことに由来します。

ゴータマ・シッダールタの死後

ゴータマ・シッダールの没後から百年ほど後、仏教は経典の解釈・思想の違いから20の部派に分かれる部派仏教を迎えます。 仏教は細かい部派に分かれてはしまいましたが、しかしまだまだ全盛です。

しかし4世紀になるとインドはヒンドゥー教を信奉するグプタ朝によって統一され、じわじわとヒンドゥー教を信仰する民衆が増えていきました。

仏教は「現世の虚しさを悟り執着を捨てよ」という、持てる者の贅沢のような側面がありました。 これは持たざるものである民衆には支持されにくい性質であり、仏教の主な信奉者は上流階級の人々でした。

神に救いを求めた民衆はヒンドゥー教を信奉し、仏教は先細りしていくことになりました。

イスラム教国の侵入による衰退

全盛期に比べると信奉者が減った仏教ですが、それでもインド北西部を中心に勢力を誇っていました。 しかし11世紀に始まったイスラム教国の侵入により止めをさされてしまいます。

11世紀にはガズナ朝がインドへ17回もの出兵を行い、続いてゴール朝がインドへ侵攻、1202年にはベンガルまで制圧されます。 その際に寺院は破壊され、また多くの僧侶が殺されてしまいました。

一部の仏教僧はインドから脱出してネパールなどへ逃れますが、これがインドでの仏教衰退を決定付けました。 対してヒンドゥー教はインドを制圧したデリー=スルタン朝が信奉を認めたため盛んでした。

そんな経緯があって今日のインドは国民の8割がヒンドゥー教を信奉するヒンドゥー教国となっています。 次点のイスラム教は1割ちょっとで、仏教は1%未満のマイナー宗教でしかありません。

今日の仏教国

金色に輝く仏像

本場インドでは色々あって衰退してしまった仏教ですが、東アジアを中心に仏教の教えはそれなりに残りました。 タイ、カンボジア、ブータン、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ラオス、日本などは仏教を信奉する国民の割合が多い仏教国です。

MEMO

仏教徒が一番多いのは中国ですが、これは元の人口が多いためで割合としては15%弱程度です。 中国では主に儒教・道教(民俗信仰)が信奉されています。

今日の仏教は釈迦が提唱していた釈迦仏教とは大分形も変わりました。 例えば釈迦仏教には死者に囚われすぎるのはよくないこととされお墓なんてのも存在しませんが、日本の仏教とは大分違いますよね。

もっとも日本仏教の元となった唐の仏教の時点で儒教の影響を強く受けていたので、伝来した時点で違うものだったのかもしれません。 宗教が異文化へと取り入れられる際に変質するのは珍しいことではありません。

ただ本来なら総本山がいくらかとりまとめるはずですが、しかし仏教には前述の通り総本山が存在しません。 そのため多様性に富んだ宗教になったのかもしれませんね。

本場インドではほとんど信奉されることのなくなった仏教ですが、各地域で独自の進化を遂げた仏教は今も信奉されています。

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