「ダモクレスの剣」「カルネアデスの板」など知っておきたい故事まとめ
先日、昔の荷物を整理していると「ダモクレスの剣」だの「カルネディアスの板」だの書いたノートが出てきました。 中学生にありがちなアレの発露かと思い嫌な汗が出ましたが、どうやら本に出てきた分からない表現を調べただけだったようです。
折角掘り出したので、ここにそんな故事の言い回しをまとめておきます。
オッカムの髭剃り
オッカムの髭剃りとは、事柄や理論を説明する時は不必要なものをなるべく削ぎ落してシンプルにしようって指針です。 神学者オッカムがよく使っており、削ぎ落すのを剃刀に例えてこう言われるようになりました。
日常会話で例えるならこんな感じでしょうか。
オッカムの髭剃り式・日常会話
もうお昼だしお腹も空いたから、お昼ごはん食べにいかない?最近はご飯ものが続いたからラーメン食べに行きたいな。
↓
お昼だからラーメン屋に食べに行こう。
本題に不要な情報を削ぎ落してみるとグッとシンプルに分かりやすくなりましたね。 これは学問や理論などの思考の指針なので、日常会話においては常に後者が正しい訳ではありませんけどね。
ただ「話がくどい」とか「何が言いたいのか分からない」とかよく言われる人は、会話に余計な要素が多分に含まれている傾向があります。 そんな人はオッカムの髭剃りを意識すると良いかもしれません。
オリーブの枝を差し出す
オリーブの枝を差し出すとは、険悪な関係となった際に一方が仲直りするためのアプローチを行うことを言います。 オリーブはキリスト教圏における平和の象徴であるため、このようなニュアンスになる訳です。
その昔イギリスの植民地だったアメリカはイギリス議会への発言権がなく、本国が何の説明もなく増税要請してきたことに不満が高まっていました。 やがてイギリス本国が反乱の指導者を逮捕しようと大陸に軍隊を送ってきたことに反発、アメリカ独立戦争が始まりました。
初戦は大陸軍が勝利しましたが、このままでは身内同士の大規模な流血沙汰に発展しかねません。 そこでアメリカ議会が譲歩する形で送った和解請願こそが「オリーブの枝請願」です。
ここから先は後日談です。
色々あって和解はならず、戦争は大規模なものに発展していきます。 兵の質や装備に勝るイギリスは局地戦では優勢でしたが、広いアメリカ大陸を掌握し続けることはできませんでした。 やがて大陸軍が勝利してアメリカは国家として独立、大陸軍総司令官だったジョージ・ワシントンが初代大統領となります。
カルネアデスの板
カルネアデスの板とは、ギリシャの哲学者カルネアデスの思考実験で、極限状態における犠牲の是非への問いかけです。
カルネアデスの板
船が難破して乗組員が海に放り出され、一人だけ掴むことができる板が浮いていました。
この板を二人が掴んだ場合、板を奪って自分だけ生き延びるのは果たして正しい事でしょうか?
二人仲良く死ぬよりは一人でも助かる方がマシとも言えますし、緊急事態と言えども他者を殺すことなんて許されないとも言えます。 現代においても度々このようなことが議論されていますが、完璧な答えには未だ辿り着けてはいません。
トロッコ問題
前述のカルネアデスの板と類似の、極限状態における犠牲の是非への問いかけです。
トロッコ問題
トロッコが暴走しており、あなたは切り替え機の前にいます。 このまま何もしなければ線路上にいる5人が死に、トロッコの進路を切り替えれば切り替え先の線路上にいる1人が死にます。
この時あなたはトロッコの路線を切り替えるべきでしょうか?
カルネアデスの板との違いは、能動的とも言える殺人でより多くの命が助かる点です。 トロッコ問題にも明確な正解はありませんが、意見が割れるということは極限状況下の殺人は肯定され得るということなのかもしれません。
ちなみにこの問題、多数派と少数派のどちらを優先すべきかを問う際に多数派の支持者が出してくることが多いです。 そんな時の正解は「誘導尋問してくる出題者を殴りつける」ですね。
ゴルゴダの丘
ゴルゴダの丘とは、キリストが十字架に磔にされて処刑されたとされている、エルサレムにある丘です。
磔刑は最も重い処罰であり、十字架に手足を釘で打ち付けて受刑者の死を待つという、苦しみが長く続く残忍な処刑方法です。 キリスト教では罪深い人類に代わってキリストが身代わりとして磔になったとも言われていますね。
受刑者が死んだかを確かめる時に脇腹を槍で刺すのですが、イエスを刺したのはローマの兵士長であるロンギヌスです。 彼は盲目でしたがイエスの血を目に受けたことで視力が回復し、それを切っ掛けにキリスト教へと改宗して聖ロンギヌスとなりました。 イエスを刺した槍はいわゆる「ロンギヌスの槍」であり、これも創作界隈で有名ですね。
ゴルディアスの結び目
ゴルディアスの結び目とは、誰も解決できない難題を思いもつかない方法で解いてしまうという意味の言葉です。
ゴルディアス王が丈夫な紐を神殿の柱に複雑に結び付け「これを解けた者はアジアの王になる」という予言をしました。 多くの者が挑戦しましたが誰も解くことはできず、それから数百年の時が経ちました。
戦争で攻めてきたアレクサンドロス大王もゴルディアスの結び目に挑戦するも、どうしても解くことができません。 そこで縄を剣でスパッと切った結果、紐は簡単に解け、その後アレクサンドリア大王は予言通りにアジアの王になったという話に由来しています。
でもこの故事は誰も思いつかない方法と言うより、誰もが思いついたけどやらなかった方法のような気がします。
サイは投げられた
サイは投げられたとは、もう後戻りできないから最後までやろうという意味の言葉です。
古代ローマの属州ガリアの総督だったカエサルは、ポンペイウスとローマの主導権争いをしていました。 ある時ポンペイウスは元老院に近づき、カエサルを解任した上でローマへ帰還させようとします。
カエサルが馬鹿正直に招集に応じればどうなるか分かりません。 ローマへの進軍を決めたカエサルは、法で禁じられていた「ルビコン川以南への進軍」を破りローマへと向かいます。 その川越えの際に「サイは投げられた」と言ったそうです。同様に「ルビコン川を渡る」と表現されることもあります。
ブルータス、お前もか
ブルータス、お前もかとは、親しい人や信じていた人に裏切られた時の嘆きの定型句です。
紀元前1世紀頃のローマは共和制で、絶大な権力者を置くことを好みませんでした。 そんな中でカエサルは中央集権システムを作り、事実上の皇帝とも言える終身独裁官に就任します。
しかしこれを快く思わない勢力がカエサルを暗殺し、その中にはカエサルの側近であるブルータスもいました。 ブルータスはカエサルを尊敬しており恨みもありませんでしたが、独裁官となって権力が集中するとローマが腐敗すると考えたのです。
カエサルはブルータスまでもが暗殺者となったことを目の当たりにし「ブルータス、お前もか」と言いました。 これは信頼していたブルータスの裏切りへの失望と、あのブルータスに裏切られたのなら仕方ないという諦めが入り混じった言葉だったように思います。
最後の晩餐
最後の晩餐とは、生前最後に食べる食事のことを言います。 余命いくばくもない病人や、執行の決まった死刑囚などが最後に食べる食事を指すことが多いでしょうか。
由来はキリストが処刑される前の晩に、十二人の弟子たちと共に食べた夕食です。 その席でキリストはパンを自分の身体、葡萄酒を自分の血であるとして弟子たちに分け与え、これからも同じように続けるよう言いました。
この故事からキリスト教徒にとってパンと葡萄酒はキリストの血肉であり特別な意味を持ちます。
日本においては単純に「人生最後の豪華な食事」ぐらいの意味で使われていますが、用途に違和感を感じることがなくもないです。
四面楚歌
四面楚歌とは、周囲を敵に囲まれて孤立しているという意味の言葉です。
中国で初めて大陸を統一した秦の始皇帝は、苛烈な統治によって国を治めていました。 力で抑えられていた人々の不満は高まり、始皇帝が没すると各地で反乱が起こるようになります。
その反乱軍の中心人物だったのが楚の項羽です。 やがて秦は打倒され、大陸は諸侯が分割して治めることになりました。 しかしこの配分に不満を覚える勢力は多く、次の始皇帝の座を狙う者が多くいました。
そんな中で頭角を現したのが漢の劉邦で、劉邦が徐々に勢力を拡大する一方で項羽は勢力を縮小していきます。 そして項羽が漢軍に包囲された夜、四方から故郷である楚の歌が聞こえてきました。四方から楚の歌が聞こえてきたから「四面楚歌」という訳です。
これは敵の計略だったのですが、楚が敵に下ってしまったと思った項羽は破れかぶれの突撃をして討ち取られます。 そして劉邦は400年続く漢王朝の初代皇帝として即位しました。
以上が項羽と劉邦のあらすじでした。…何の話でしたっけ?
ダモクレスの剣
ダモクレスの剣とは、栄華や平和の中にも危険があることを警鐘した言葉です。
ディオニュシオス2世の臣下ダモクレスが王の立場を羨みました。 すると王はダモクレスに玉座に座るよう勧め、ダモクレスは嬉々として玉座に座ります。
するとダモクレスは真上に細い糸で吊り下がった剣がある事に気付き、糸が切れたら一貫の終わりなので慌てて逃げ出します。 王はダモクレスに王の立場の危うさを教えたのであり、ダモクレスは身をもってそれを理解しました。
ちなみにディオニュシオス2世の父であるディオニュシオス1世は最悪の暴君と言われており、神曲や走れメロスなどの創作物語によく登場しています。