オーストラリアの首都が地味なキャンベラな理由
「オーストラリアの首都はどこ?」と聞けばシドニーと答える人が結構います。 シドニーはオーストラリアの最大都市で、観光名所も多いため知名度が高いです。
しかしオーストラリアの首都はそんなシドニーではなく、微妙に影が薄い都市のキャンベラです。 なぜキャンベラが首都なのかと言えば、オーストラリア第一の都市シドニーと第二の都市メルボルンのどちらが首都になるか争った末の結果なのです。
オーストラリアの都市概要
オーストラリアの首都はキャンベラです。 814km2に40万人弱の人が住んでおり、人口と人口密度は日本で言えば長野市ぐらいです。
オーストラリアには人が少ないのかと言えばそうでもなく、人口は2000万人ほどで5大都市と呼ばれる人口100万を超える5つの都市を擁します。 中でもシドニーとメルボルンは大都市であり、それぞれ400万人前後が住んでいます。 ちなみにキャンベラはオーストラリア第8の都市で、5大都市からあぶれてしまっています。
そんなオーストラリアで特に有名な都市はシドニーとメルボルンです。 シドニーはオーストラリアの玄関口であり、観光名所「シドニーオペラハウス」「ハーバーブリッジ」などを擁するオーストラリアを代表する大都市であり、その存在感はよく首都と勘違いされるほどです。またメルボルンも知名度こそシドニーに譲りますが、自然と都市が調和した美しい街並みを持つ、世界で最も住みやすい都市ランキングの1位常連です。それと比べるとキャンベラって…何があるんでしょうね?
シドニー・メルボルン・キャンベラの三市とも日本の市と姉妹都市関係があります。 シドニーは名古屋市、メルボルンは大阪市、そしてキャンベラは奈良市です。 こう言うとキャンベラの立ち位置がうっすら分かるのではないでしょうか。
なぜオーストラリアの首都がシドニーでもメルボルンでもなくキャンベラなのかと言えば、これはシドニーとメルボルンの首都争いの末の妥協の結果なのです。
キャンベラが首都になった理由
オーストラリアは現地住民であるアボリジニと、1788年以降にイギリスから入植してきた人たちの国家です。 最初はイギリスの植民地のような扱いでしたが、1901年に独立してオーストラリア連邦となりました。
独立に際して首都を決めることになったのですが、シドニーとメルボルンのどちらにするか長らくの両者間で言い争いが続いていました。 どちらも「我こそがオーストラリアを代表する都市である」と譲らなかったのです。
いつまで経ってもどちらも譲らないので「じゃあ2つの都市の中間に首都を作ろうぜ」ということになり、それこそが今のオーストラリアの首都・キャンベラです。 これは実家の離れた新郎新婦がどちらも地元で結婚式を挙げたいと言って、協議の結果中間で結婚式を挙げるかのようなどちらも得しない選択です。
しかしキャンベラが首都に選定された当初は何かがあった訳ではなく、むしろ何もなく誰もいませんでした。 そこに1913年から本格的に都市を作っていく運びとなったのです。
しかしそれから数十年の間、大恐慌や世界大戦などもあってキャンベラの開発は遅々として進みませんでした。 粗末な建物が閑散と並ぶ様は「まるで村のよう」と評され、首都としての最低限の体裁すら保っていなかったのです。
これではイカンと1957年に国立首都発展委員会を設立し、本格的にキャンベラの整備が始まりました。 それから60年でオーストラリア第8の都市にまで成長したのは、むしろ空前の発展と言えるかもしれません。
しかしキャンベラは首都機能に偏重した街であり、キャンベラ市民の多くが官公庁に勤めています。 施設も国会議事堂を始めとした官庁、造幣局、国立大学、美術館、図書館、博物館、劇場と、まあ街の傾向が何となく見てとれると思います。
キャンベラとはそんな感じの街なのです。いささか地味なのも仕方ありませんね。