「常識破り」になっても「非常識」にならない
「常識破り」と「非常識」という言葉があります。 どちらも常識を守っていないという意味ですが、常識破りにはポジティブな印象が、非常識にはネガティブな印象がありますよね。
この二つの差は常識を知っていたか否かに集約されます。 常識破りは敢えて常識を破ったのに対し、非常識は常識を知らなかっただけです。
常識破りになっても非常識になってはいけません。 常識に従うにしろ破るにしろ、常識は知っておきましょう。
常識とは
常識とは集団の中で生きる人々が当たり前の前提として持っている価値観や知識のことです。 法律やマナーのようなルールから暮らしの知恵や基礎素養としての知識まで様々な常識があります。
しかし一言で「常識」と言っても、自分の常識が相手の常識と必ずしも一致する訳ではありません。 国、地域、性別、宗教、職業、年齢、趣味や嗜好などによって様々な集団が作られ、集団ごとに常識が違うからです。
ある集団の「常識」は別の集団での「非常識」になることもあります。 例えば日本では常識的に豚肉を食べますが、これはイスラム教徒にとって非常識に当たります。 逆に日本でイヌを食べるのはやや非常識なことですが、それが常識であるコミュニティもあります。
常識とは「特定のコミュニティの中で円滑に社会生活を営むための前提」と言えます。 自分の常識とコミュニティの違う相手との常識が必ずしも一致するとは限らないことは肝に銘じておきましょう。
「常識破り」になっても「非常識」になるな
常識に必ずしも従う必要はありません。 目まぐるしく科学が発達し文化が変化する昨今、旧来の常識を引きずるのは非効率的であったり不合理であったりします。 数年前の常識が今の非常識になった事も珍しくありません。
人生を生きていく中では、むしろ常識を破った方が利益をもたらす場面も多々あります。 あなたが「従うべきではない」と感じた常識を破ることは止めません。
しかし常識を「知った上で破る」のと「知らずに破る」のでは全く意味が変わってきます。 つまり「常識破り」と「非常識」は似て非なるものなのです。
常識にも「絶対に破るべきではないもの」「できれば守った方がいいもの」「それほど重要でないもの」など程度の差があります。 また時代の流れや変遷などで実態に即さなくなった「無意味な常識」「従うべきでない常識」もあります。
これら常識を知った上で破る分には問題ありません。 あなたの判断の結果ですし、それによって生じた利益も不利益も自身のものとして受け入れることができます。 しかし非常識なだけでそうとは知らずに破ってしまった場合、想定外の不利益を被ることになるでしょう。
常識破りになっても非常識にはならないよう、あなたの所属するコミュニティの常識ぐらいはしっかりと身に付けておきましょう。 その上で常識に従うか破るかを決めるのはあなた自身です。