人は当たり前の心理によって山で遭難する

正しい道はどっち?

テレビ番組や本などで遭難話を見たことはあるでしょうか。 見ていると「なぜそこで無謀な判断をしたのだろう」と疑問に浮かぶことがあります。

「自分は遭難してもそんな無謀なことはしないから大丈夫」と思ったあなた、大きな勘違いです。 誰もが持つ当たり前の心理が、当事者の冷静な判断を阻害しているのです。

A氏の遭難体験

遭難する男性

私が聞いた遭難話を例にして、人間心理による判断ミスが起きる経緯を見てみましょう。 まずは話のあらすじをお話します。

登山開始

A氏は忙しい仕事の合間を縫って休日を取り、以前から登りたかった遠方の山へとやってきました。 明日はまた仕事のため日帰りで、昼過ぎに登頂して暗くなる前に下山し帰宅する予定です。

予定通りに山頂に辿り着き、風景をひとしきり楽しむと下山を始めました。 しかし同じ道を戻るのも味気ないので、裏道ルートを通って帰ることにします。

違和感

裏道はあまり整備されていないため、それらしい道や目印を頼りに山道を進んでいきました。 しかし大分歩いてそろそろ本道と合流するはずの頃になっても中々道が見えてきません。

A氏は多少の違和感を感じつつも、きっともう少し先だろうとそのまま進みます。 しかしいくら歩いても状況は変わらず、見覚えのない沢に出たところで道を間違えたことに気付きました。

無謀な選択

どうするか思案したA氏は、ひとまずスマホを使ってネットで地図を確認することにします。 周囲の景色から大よその現在地を割り出したところ、沢を下れば下山できそうに思えました。

来た道を戻るか、沢を下るか。少し考えたA氏はそのまま沢を下ることにします。 草木が茂る険しい道を必死に歩きましたが、しばらくすると崖に出てそれ以上進めなくなってしまいました。

更なる無謀な選択

来た道を戻るか、降りられそうな場所を探すか。少し考えたA氏は迂回路を探すことにしましたが、どうにも道は見つかりません。 そうこうしているうちに日が暮れてしまい、A氏は暗い山の中で身動きが取れなくなってしまいました。

電話は通じたので家族に経緯を説明し、暗い山の中で一夜を過ごすハメになりました。 そして日の出と共に来た道を必死に戻り、何とか無事帰り着いたのでした。

人が山で遭難してしまう心理

思考のバグ

この話には二つの大きな岐路があります。 道を間違えたのは仕方ないとして、ひとつは「見覚えのない沢に出た」時、もうひとつは「崖に出た時」です。

どちらにしても引き返すのが正解であり、この話を見た人の多くもそう判断します。 それにもかかわらず自分が当事者となった時に引き返せない人は少なくありません。

これはこの状況に直面した時の、当事者意識や状況の差に起因しています。 当事者としての心理を考えながら見てみましょう。

間違いを認められない

見覚えのない沢に出た時にすでに雲行きは怪しく、この時点で誰かに連絡しておくべきです。 しかしA氏は誰にも相談せずに自力で解決しようとしました。

これは異常事態を過小評価する「楽観主義バイアス」や「間違いを認めたくない心理」が影響しています。

周囲への相談は自分の力不足や過ちを認め、それを他人と共有することを意味します。 しかし現時点では雲行きは怪しいものの、まだ失敗は確定しておらず、何事もなく挽回できる可能性は十分にあります。

まだどうにかなりそうな状況で失敗を認めるのは嫌ですよね。 そんな心理が早期の報告を阻害したのです。

正解が分からない時に困難な選択ができない

沢に出て地図を確認した時、A氏には「進む」か「戻る」かの二つの選択肢がありました。

戻るのは手堅い選択ですが、これは余計な時間と労力をかけてスタートに戻る行為です。 一日中歩き回って疲労している状況で更に来た道を戻るのは大変ですし、帰宅は予定よりも大幅に遅れてしまいます。

一方でこのまま進めば上手いこと下山できる可能性は残っています。 予定通り帰宅してゆっくり休み、明日の仕事に備えることができるかもしれません。

人は困難でも正しい道を歩む力を持っています。 しかしそれはどちらが正しいか分かっている時の話で、正解が分からない時に困難な選択をするのは容易ではありません。

そんな葛藤が「引き返す」という手堅くも困難な選択を敬遠させてしまったのです。

異常を異常と認識できない

進むか戻るかのどちらが正解かはともかく、現状は遭難一歩手前の異常事態です。 こんな時は困難でも手堅い選択を選ばなければなりませんが、しかしその冷静な判断をこれまた人間心理が邪魔します。

人は周囲の変化から受けるストレスを軽減するため、ある程度の異常は正常の範囲内として処理しようとします。 これを「正常性バイアス」と言いますが、このせいで多少の異常ぐらいでは自分が異常事態の最中にいることが分からなくなります。

それによりA氏は最良の戻るべきタイミングを逃し、ずるずる誤った道を進むことになってしまったのです。

かけたコストが膨大で引き返せない

沢を下っていくと崖に突き当たり、本格的に状況が悪くなったことを認識しました。 こうなると流石に戻るのが正解だと思いますが、ここでさっと引き返せるほど人の心は素直ではありません。

険しい道を時間をかけて進んできたので、ここから戻るのは前にも増して困難です。 来た道を迷わず戻れる保証はありませんし、上手く引き返せたとしても体力的にも時間的にも今日中の下山は無理です。

今更引き返せなくなったA氏は、往生際悪く迂回路を探そうとします。 これは今までかけたコストが膨大で引き返せなくなるテンプレ心理の「コンコルド錯誤」というやつです。

人間は決断を避ける

人間は決断やリスクを避けようとします。 特に挽回できる可能性が残っている時に、手堅く諦めることは中々できません。

しかし決断を避けることもまたリスクを積む行為になり得ます。 決断を避けてリスクは膨らみ、やがて限界点を迎えて遭難や事故となるのです。

登山に限った心理ではない

物事を俯瞰してみた時と実際に当事者となった時、どちらも同じ判断が下せるとは限りません。 自分が異常な判断をしていることに気付くことすら難しいのが、これら心理の厄介なところです。

遭難は登山趣味がなければほとんど他人事ですが、この心理が働くのは何も登山に限ってのことではありません。 日常生活においてもよく働いている心理ですからね。

あなたの周りやあなた自身にも似たような経験はあると思います。 この話を教訓にして冷静な判断を心掛けたいものですね。

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