【日本史|縄文時代】

縄文時代はおおよそ紀元前14000年から紀元前2~3世紀頃までの時代を指します。 1万年以上もの長い期間なので、前期、中期、後期、晩期に分けられることもあります。
この頃の人々は「縄文土器」と呼ばれる縄で模様を付けた土器を使っており、そこから縄文時代と名付けられました。 縄文時代は世界史で言うところの新石器時代に該当します。
縄文人の生活
氷河期が終わって気候が温暖になり、植物相や動物相も大きく変化しました。 それまでは大型動物を追いながらの狩猟生活でしたが、大型動物が絶滅したことにより人類の生活様式も変わります。
縄文時代には縄文土器が誕生し、食べ物の煮炊きや保存ができるようになりました。 今まで食べられなかった物が食べられるようになり、食糧事情は改善して定住生活を営めるようになります。
数十人が集まって集落を作り、地下を掘って作る竪穴式住居に住むようになります。 住居の近くには貝塚と呼ばれるゴミ捨て場を作り、食べ残しの残飯や破損した土器を捨てていた他、人やペットの埋葬もしていました。
貝塚と呼ばれるのは大量の貝殻が発掘されるためです。 貝殻ばかり出てくるのは分解されにくいからで、貝殻ばかり捨てていた訳ではありません。
縄文人は狩猟、漁業、木の実の採集、簡単な植物の栽培などをして暮らすようになりました。 獲物が大きく強い大型動物から小さく早い中型以下の動物に変わり、それを仕留めるために弓矢が使われるようになります。 その食生活は意外に豊かで、木の実と肉を混ぜてハンバーグにして食べていた、果実酒を作っていたなんて話もあります。
基本的に食べ物を取っては食べの原始的な生活で、食料の長期保存や自己生産(農業)の手法が確立されたのは縄文時代の終わり頃です。 みんながその日暮らしであり、貧富の差はほとんどなかったと考えられています。
縄文時代の宗教
縄文時代になると、宗教的な痕跡も見受けられるようになります。
屈葬
死者は手足を折り曲げて屈むような姿勢で埋葬されていました。 そのように埋葬していた理由は諸説ありますが、胎児の姿勢を取らせて再誕を願っていたとか、死者が迷い出てくることがないようしていたのではないかとか言われています。
土偶や石棒
縄文時代の遺跡からは動物や人を模して造られたと考えられる「土偶」や、男根を模して作ったと思われる「石棒」などが出土しています。 縄文人に何らかの宗教的信仰があった事が伺えますね。
抜歯
出土した成人縄文人の骨に抜歯されているものが多くあることから、縄文人には成人すると抜歯する習慣があったと考えられています。 理由は諸説あり成人の通過儀礼として行われたとか、人の役割を示すために行われたとか考えられています。
成人して抜歯する風習は割と一般的なもので、現代においてもアフリカに抜歯の風習がある部族もあります。 歯が無くなれば生存に不利になりますが、このような風習が世界的に見られるのはなぜなんでしょうね?
縄文時代の遺跡
三内丸山遺跡
縄文時代の代表的な遺跡と言えば青森県の三内丸山遺跡です。 縄文前期~中期頃の大規模な集落跡で、ここに数百人もの縄文人が800~1000年以上に渡って暮らしていたと考えられています。
竪穴の住居、埋葬した墓、ゴミ捨て場などが整然と配置され、縄文土器、石器、土偶なども沢山出土しています。 また集落から遠く離れた地域原産のヒスイや黒曜石なも出土していることから、離れた集落と交易してそれらを得ていたと考えられています。
大いに栄えた三内丸山集落ですが、縄文中期には人がいなくなったようです。 その理由はよく分かっていませんが、流行り病や天変地異でも起きたのでしょうか。