甲子園の土には中国福建省の砂を使っている

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高校球児が目指す憧れの舞台「甲子園」。 敗者にはドラマを、勝者には栄光を与えてくれます。

甲子園で負けたチームは土を持ち帰って記念にするのが通例になりました。 でもその土、実は半分は日本の他の地域のもので半分は中国のものなんですよ。

甲子園の土は何でできている?

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甲子園の土は黒土と砂のブレンドです。 割合は春は雨が多いから砂を多くする、夏はボールを見やすくするため黒土を多くするなど、天候や季節によって変わります。

黒土の産地は決まっておらず、日本の様々な場所から取り寄せられています。 岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山など様々です。

白土は中国福建省から取り寄せられています。 昔は甲子園浜及の砂を使っていたようですが、足りなくなったのでしょうか。

甲子園の土を持って帰ったら黒土は地元産だったなんてこともあるかもしれません。 まあ甲子園で球児の血と汗が染みこんだ土だから価値があるんで、産地は野暮な突っ込みだとは思いますけどね。

そもそもなぜ甲子園の土を持って帰るのか

甲子園の土なんて持って帰ってどうすんだ、なぜ持って帰るんだと思う人もいるかもしれません。

最初に甲子園の土を最初に持って帰った話が残っているのは1937年の熊本代表・川上選手と言われています。 しかし川上選手は「最初に持ち帰ったのは自分ではない」と言っており、始まりはもっと遡りそうです。 その後も持って帰る高校や選手はいましたが、今のように必ず持ち帰るような風習はありませんでした。 球児たちが甲子園の土を一様に持ち帰るようになったのは沖縄のエピソードからです。

第二次世界大戦終戦後、サンフランシスコ講和条約により沖縄はアメリカの統治下におかれました。 一定の自治権はあり潜在的に日本ではありましたが、ほとんどアメリカだったのです。 日本と沖縄を移動する際にはパスポート(沖縄県民の場合は渡航証明書)も必要でした。

そんな沖縄県は1958年に初めて甲子園に参加することとなり、首里高校が出場することとなりました。 首里高校は奮戦むなしく1回戦で強豪・敦賀に敗れてしまいます。 しかし日本に来て甲子園で戦った証として、甲子園の土をビニールに入れて持ち帰りました。

そして那覇港へ戻っていった面々でしたが、沖縄を取り仕切るアメリカの法律によって甲子園の土は外国の土とみなされ、植物検疫法によって捨てられてしまいます。沖縄が日本ではないことを強く認識させられる出来事でした。

その出来事は日本で大きな反響を呼び、甲子園の土を焼物にして沖縄に送る人もいました。 これが沖縄返還運動の盛り上がりに繋がって、1972年についに沖縄県は日本に返還されたのです。

この首里高校の出来事こそがこの習慣を広めた出来事と言えるでしょう。 そんな沖縄県は1999年に初優勝を果たし、今では高校野球の強豪として名を連ねています。沖縄尚学とか興南とか強いですよね。

ちなみに持ち帰った土をどうするかは学校や選手によって様々なようです。 よくあるのはグランドに撒かれるなどですが、小瓶に入れて記念品にしたり、首里高校のエピソードに倣って焼き物にしてみたりと色々あるようです。

あ、そういえば甲子園は大阪府にあるって勘違いしてる人多いんですけど、あれ兵庫県なんですよ。 ほとんど大阪との県境で、大抵の兵庫県民より大阪府民の方が甲子園が近いってのはありますけど、お間違いなきよう。

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